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【連載】文房具百年 #40 「何が載っている? 明治38年の業界紙~関西文具時報~」

たいみち

 前回、前々回に引き続き明治38年の業界紙の紹介だ。今回は「関西文具時報」、当時の名称は「関西時報」であるが、その明治38年と39年に発行されたものを紹介しよう。  
 この関西時報の入手はスムーズにいかなかった。これは、前回、前々回と2回にわたって紹介した「東京筆墨硯文具商報」と一緒に古本屋さんのカタログに載っていたのだが、タイトルが「関西時報」であり、「文具」が入っていなかったため見落としてしまった。すぐに気づいて慌てて購入希望の連絡をしたが、「すでに売れてしまった」という返事が返ってきたのだ。だが、カタログが送られて来てから大した日数が経過していないのに、「売れてしまった」というのはちょっと疑問を感じた。古本屋さんによくあることだが、商品の整理ができていなくて見つからないだけではないか? とはいえ、「無い」と言われてしまった以上仕方ない。
 そんなタイミングでたまたま見た占いにこんなことが書いてあった。
 「失せ物 時間がかかるが待てば出る」
 私はその時何となく「関西時報」は手に入るのではないかと思った。そしてそんなことも忘れて数週間経過した時に、古本屋さんからメールが来た。
 「先日在庫なしとのお知らせをいたしました関西時報ですが、在庫が見つかりましたのでご連絡を差し上げました。管理の不行き届きをお詫び申し上げると共に、もしまだご入り用でしたら、ご注文受け付けます。」

 ほら来た。関西時報、我が家へようこそ。


(前回、前々回の業界紙の紹介は下記リンクをご参照ください。)
https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/014279/
https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/014473/



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*関西時報 明治38年5月1日号表紙タイトル。今回入手できたのは、これと39年3月1日号。

商品広告

 まず商品の広告から紹介しよう。東京筆墨硯文具商報と同じ商品も多いが、こちらにしか載っていない商品もある。こちらは関西の業界紙なので、エリアの違いが商品にも出ているのであろう。なお、東京筆墨硯文具商報は一部当たりのページ数が18ページだが、関西時報は8ページなので、全体的に情報量は東京筆墨硯文具商報より少なく、商品の広告も絶対量の差がある。
 まず、目立つのはインクだ。東京筆墨硯文具商報では、墨・筆が目立っていたが、関西時報ではインクやペンなど西洋から入ってきた文房具が前面に出ている印象だ。それに同じ明治38年の業界紙なのだが、関西時報は日露戦争の影響がさほど感じられない。

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*クマ印インキとあるが、画像にクマの絵はない。ツバメインキは当時大手のインクメーカーだった篠崎インキの「CAWS INK(CAWSはカラス)」のデザインとよく似ており、あやかったものであろう。



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*鹿印インキ。欧米の製法で作っており、ペンの腐食や沈殿物がないと謳っている。言い換えれば当時のインクはペンが腐食し、沈殿物があったということだ。



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*軍艦インキ。「INDIAN INKS」とは、主に製図用で煤から作られている、墨に近いインク。「軍艦」という商品名は日露戦争の影響だろうが、洋風で洒落たデザインで、当時にしては珍しく迫力や物々しさが薄い。



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*丸善インクの広告。



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*テンゼンインキ。色の説明を読むと、ブリューブラック、インヂューブラック、ブラックと黒系で3種類あり、乾くとどれも「真っ黒になる」そうだ。



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*紙製石盤と鉛筆の広告。三田堂製の紙製石盤は比較的よく見かけるので、当時の紙製石盤の主要メーカーだったと思われる。鉛筆の「槌印」は当時輸入されていた欧米の鉛筆の一つ、Johann・Faberのマークが槌がクロスしている形なので、それをお手本としたのであろう。



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*左は「改良ペン」とあるが、つけペンの一種のようだ。イラストのペン先の「特許」の上に◇型のマークがあるが、ここに穴が開いていて、インクの流れがよく、引っかからずに書けるというアイデア商品だ。
右はスタイログラフィックペンと、万年筆。



 一つ気になる広告を見つけた。不易糊の広告だ。不易糊の誕生は明治28年(1895年)なので、明治38年はすでに発売されて10年経過している。注目したのは、広告の横に書かれている一文だ。

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*不易糊の広告。足立商店は不易糊工業株式会社の旧社名。



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 「輸入品模造雑貨品評会銀牌受領」とある。どうやら欧米の商品をいかにうまく模造できるかという品評会があったようだ。以前この連載の鉛筆の回で、大正時代の「外国製品二対抗スベキ東京製文具目録」の紹介をしたことがある。その目録に掲載されている文房具は、どの輸入品を模倣したかが明記されており、いわばターゲットを決めて挑戦状を突き付けている状態だ。現代では模倣というのは大っぴらにいうことではないが、大正時代ではむしろ自慢するポイントだったのだ。https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/007518/#anchorTitle2

 この不易糊の広告を見ると、輸入品をお手本として類似品を作ってそれを評価するというのは、明治時代から行われていたことがわかる。ちなみにこの広告は明治39年の紙面の広告で、同じ広告が明治38年の紙面にもあるが、この一文が入っているのは明治39年の広告だけであった。この「輸入品模造雑貨品評会」というイベントがどのような経緯でおこなわれたのか、何が出品されていたのかに興味があるが、残念ながら具体的な内容は何も調べられなかった。

雑録

 雑録というタイトルで、タイトル通り雑多なことが書かれている欄があった。「そろばん鑑定法」や「言葉が通じないと困る話」(外国の方のことから始まって、若者も言葉が通じないというオチ)などと一緒に「商況」という記事が目に留まった。それによると、鉛筆は品薄で製造が間に合わず、ペン先については、安物は市場に出回っていないといったことが書かれている。
 うーん、鉛筆もペン先も東京筆墨硯文具商報・関西時報共にほとんど広告がないのだが、それはまだ一般的に使われていないからと思ったが、そうではないのだろうか。鉛筆についていえば、製造が機械化されるのは明治40年を過ぎてからといった記載が「日本鉛筆史」※1にある。つまりこの頃はまだ手作業で鉛筆を作っており、製造量が少なかったことから商品が不足している状態だったのだろうか。
 インクの「持合いの姿」というのは正しい意味がよく分からないが、おそらく品物が少ないという意味合いと推測した。紙製石盤も手に入らないと書かれており、「学校が雑記帳をやめて紙製石盤にしている」ことが、品薄の原因とされているが、流れとしては紙製石盤から雑記帳に移ったと思っていたのだが、これも実際は逆の流れなのだろうか。石盤から紙製石盤ならわかるのだが。
 などと個人的には記載の内容にいくつか疑問が湧く。ただここは素直に書かれていることが事実と理解しよう。

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 商況の隣には、大手のメーカーや店舗の従業員について出征していることや現在の状況を載せているところが興味深い。業界全体で一つのファミリーのような感覚で、皆で心配していたのであろうか。

 ちなみに、この「商況」は明治38年の紙面に掲載されており、明治39年には紙製石盤の組合が紙面広告で値上げをうたっている。「段ボールの不足と作業費の値上がり」のため3割の値上げだ。値上げの要因が現代と変わらないなぁというのと、それにしてもいきなり3割値上げは無茶だろうというのが感想だ。

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学用品

 学用品についての記事があった。この時代の学用品事情が垣間見られる興味深い内容である。

*持ち歩きに適さないものは学校からの貸し出しや、教室へ置いておくことを可能とする。
 ・硯・石盤 :重い、壊れやすいので学校からの貸し出し可
 ・草紙・下敷き用紙:持ち運びにより、四隅が折れてけばだつため学校に置いていい
 ・筆 :持ち歩きに適していないので、学校に置いていい

*置いておくものが増えるので、教室に戸棚を置いて、そこにしまうこと、その戸棚は、遠足の時に採集した見本や、図工の作品などを入れておくのにも使ってよい。

*児童の学用品は軽便である方がいい。
 ・石盤ではなく紙製石盤の利用でもよい。
 ・ノート類は、1、2冊で済むように全部の教科共用にする。
 ・石筆や鉛筆などの散らばりやすいものは筆箱に入れること。

 小学校の時に、教室の後ろにあった四角く仕切られていた棚を思い出した。あれはこんなに古くからあったのか。
 それに、「軽便であること」として書かれている推奨案についても、それぞれ思い当たるところがある。紙製石盤は石盤に変わって広まったというのは納得感があることだし、雑記帳は、確かに一冊にいろいろな教科の内容が書かれている。
 筆箱の利用についても、日本は筆箱のバリエーションが多く輸入品の模倣ではなく独自に発展してきた様相があるが、もしかしたらこういった方針が出ていたことから、児童が筆箱を使うことが定着して、発展に至ったのかもしれない。

 さらに販売についても記述がある。

*学用品委託購買を行う。
 ・学校でまとめて購入し、割安で父兄に販売する。
 ・その収支管理を、上級生の帳簿を付ける練習にする。
 ・児童はモノの良し悪しより、見た目のデザインや珍しいものを好んでしまうところがあったり、親からもらった学用品代でお菓子やおもちゃを買ってしまうこともあるので、こういった販売方法は有益だ。

 最後に記載した「児童は外観の美なるもの」「新奇流行ものも」を好み、「他の玩具菓子の類を購うものあり」には、笑ってしまった。いつの世も子供とはそういうものなのだ。

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業界紙はまたいつか

 さて、3回にわたって明治38年・39年の業界紙の内容を紹介させてもらった。ここで業界紙の紹介は一旦終わりとなるが、思えば大正時代から昭和初期の業界紙を色々保有しているのだから、いつかそれらを紹介するのもいいかなと思った。大正期以降は、広告のデザインがとても色鮮やかでステキなものが多い。文房具のバリエーションも増えているので、それはそれで楽しめるだろう。
 とはいえ、3回も業界紙について紹介したので、しばらくはやめておこう。この連載がまだまだ続けられたら、いつの日か紹介すさせていただこう。

 いつもの古い文房具本体の画像や動画がなく、退屈に感じられた方もいらっしゃるだろう。そんな中、最後まで読んでくださった方には、ただ感謝である。



※1 日本鉛筆史:東都鉛筆加工業協同組合編、1992年発行





202110taimichi14.jpg*進捗筆。東京筆墨硯文具商報に比べたら日露戦争のカラーは薄いが、全くないわけではない。また、右側の広告が間違えて上下逆になったまま印刷されているところに、妙に人間臭さを感じてしまう。



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*黒板用の塗装液の広告。黒板自体は明治7~9年頃から国産のものがあったが、当時は仏具屋や漆工芸屋が作っていたとのこと。(全国黒板連盟のサイトより https://www.kokuban.or.jp/topic/


 使い込んで、塗装が薄くなってくるとこれて塗り足したのであろう。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
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