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【連載】文房具百年 #38 「何が載っている? 明治38年の業界紙~商品編~」

たいみち

東京文具筆墨硯商報

 時々購入する古本屋さんから、ある日目録が届いた。何か文房具関係の資料はないかと探してみると、「東京文具筆墨硯商報」があるではないか。文房具の業界紙だ。それも明治38年のものだ。これは是非欲しい。早速連絡して購入した。届くまでの間、「いったい何が載っているのだろう」とわくわくしながら待っていた。
 自分がとても楽しみだったので、文具のとびらの連載を読んでくれている方たちも、明治38年の業界紙に何が載っているのか興味があるかもしれないと思い、せっかくだからこの連載で内容を紹介することにした。

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 今回入手できたのは、明治38年の4月・5月・6月号の3部だ。この時期の時代背景としては、日露戦争真っただ中で1月に旅順(現在の大連市)開城に次いで黒溝台会戦でも勝利、5月はバルチック艦隊との日本海海戦で圧勝している。そのため、紙面にも商品名や記事の中に多くの関連ワードが登場する。
 なお、この「東京文具筆墨硯商報」は18ページのタブロイド判(A3より少し小さいくらい)だ。創刊は明治32年だが、いつまであったのかはわからない。発行は「東京文具筆墨硯商報社」とあるが、この会社についても調べてみたが情報を見つけられなかった。
 今回入手した3部の発行日を見ると、発行日は3月10日・4月10日・5月10日、号数が20号、21号、22号と続いているので、毎月1回の発行だったようだ。

筆・墨

 前置きはこれくらいにして内容を紹介していこう。2回に分けて紹介することにして、今回は商品とその広告だ。なお、広告に掲載されている商品の同じものや近いものの現物がある場合は、参考までに写真を掲載しておく。
 まずは筆と墨。紙名が「筆墨硯商報」とある通り、筆や墨の広告が目立つ。そしてよく見ると「日高秩父先生選定」という言葉が複数の広告に出てくることに気づいた。
 この「日高秩父先生」とはどういう方か調べてみると、「明治から大正期の内大臣秘書官、東宮御学問所御用掛、書家。正五位勲三等。号は梅渓。槑谿とも書く。」(Wikipedia)とある。
 まとめると、「役人であり、大正天皇の皇太子時代に学問を教えるチームの一員、そして書家」という人物で、筆・墨においての信頼が高かったということだろう。当時実際に日高先生が一つ一つの商品を見て選定していたのかなど具体的なことは分からないが、「日高先生選定」=品質保証であり、こういっては何だが人間JISマークのような効力を発揮したと推測される。
 なお、筆・墨・硯について私自身商品・メーカー共に知識がないが、私でも知っているメーカーとしては現在の開明株式会社(当時は田口商会)が 「すらずに書ける開明墨」の広告で一面を使って掲載している。きっとこの開明墨は当時の最先端を行く製品であったに違いない。

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*筆の存在感が大きいが、よく見ると左手に鉛筆も持っているところに時代感を感じる。



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鉛筆・万年筆・インク

 本紙では鉛筆や万年筆の広告が少ない。取扱商品の中に鉛筆や万年筆という言葉は出てくるが、イラストを付けての広告はごくわずかだ。
 鉛筆は、子供のノートなどでも明治20年代から使われ始めているのを見ることができるが、学校教育で鉛筆画が標準で取り入れられるようになったのは、文部省が明治37年に「図画教育調査委員会」※1の調査結果を発表し、その後同年に「鉛筆画」の教科書が編纂されて以降となるので、明治38年時点ではまだ商品としてあまり推していなかったのであろう。
 そして万年筆の広告もイラスト付きは「旅順開城万年筆」のみである。こちらも現代のいわゆる「万年筆」※2を丸善が輸入し始めたのが明治30年代、国産の万年筆が流通し始めるのは40年代以降のことなので、一つだけでも掲載されているのは早い方だといえる。
 ちなみに、この「旅順開城万年筆」について、「舶来品よりはるかに優等」と書かれているが、国産の万年筆は明治40年のスワン万年筆が最初というのが通説かと思われる。もしかすると「旅順開城万年筆」はスワン万年筆より早く作られた万年筆だったのだろうか。あるいは、製造販売元の古一堂は輸入文房具も扱っているので、海外で自社ブランドの万年筆を作って日本で売っていたのだろうか。気になるところである。
 更に旅順開城万年筆と一緒に掲載されている「紙巻鉛筆」についても、「東京古一堂商店新発明の一大利器」と謳っているが、上に英字で書かれている「BLAISDELL PAPER」から、アメリカのBLAISDELL COMPANYの商品を輸入したか、参考にしたことは容易に推測できるのだが、「唱歌入り」となっているところが面白い。剝き取った紙に唱歌の歌い出しが印刷されていたとして、子供たちはそれを捨てずに集めて、何ならお友達と交換などもしていたのだろうか。これも気になる商品だ。特にこの紙巻鉛筆は、もし現物が残っているならぜひ手に入れたい。

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202108taimichi11.jpg*アメリカのBLAISDELL社製の紙巻消しゴム。(鉛筆もあるが持っているのは消しゴムだった。)



 インクは当時の大手メーカーである篠崎インキの製品とその他複数社の広告が掲載されており、万年筆よりも目立っている。ちなみに万年筆ではなく、つけペンの広告は取扱商品の一つとして出てくるくらいで、イラスト入りや前面に押し出したものは見当たらない。
 明治時代のインクといえば、明治9年に太政官達で公的文書でのインクの使用が禁じられ、明治41年まで解除されなかったことからインクの普及は遅れたといわれており、明治38年はまだ公的文書にインクは使えない期間にあたる。とはいえ、それなりに広告が出ているところを見ると、消耗品としてそれなりのニーズがあったのだろう。
 面白いと思ったのは、篠崎インキの「スミレ芳香インキ」と中外文房具問屋の「芳香入り ラビットインキ」と2つの香り付きインクが販売されていたところだ。篠崎インキの「スミレ芳香インキ」については類似品もあったという。
 これは勝手な想像だが、この頃のインクはまだ腐食などで、悪臭がすることがあったのではないだろうか。そしてその匂いを打ち消すための手段として香料を入れたものができたのかもしれないと思った。今、これらのインクを見つけても匂いはさすがに残っていないだろうが、いったいどんな匂いだったのか興味がある。

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*写真は福井商店(現ライオン事務器)のライオン印インキ。右上広告の右側のイラストと同じ物。



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202108taimichi14.jpg*東洋ブラックインキ。篠崎インキの日本ブラックインキの類似品。



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ノート・石盤・速記帖

 筆記具は筆・墨中心にいくつか掲載されているが、書きつけるノートや紙類は取扱商品の一覧の中にある程度で殆ど広告がない。紙やノートは、主に紙を取り扱っている業界紙があって、そういったところに広告が集まっているのだろうか。
 というわけであまり見栄えのする広告がないのだが、個人的にこの時代の文房具として好きな紙製石盤や雑記帖を取扱商品の中に見つけたので紹介しておく。もともと明治時代に存在した文房具として認識しているが、実際に明治時代の業界紙に掲載されているのを見ると、本当に明治時代に使われていたのだという実感が湧いてくる。

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202108taimichi19.jpg*凌雲館の広告(左)と紙製石盤。



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*平谷合資会社(現エコール流通グループ)の広告と紙製石盤。当時平谷合資会社は扇子問屋で陸軍に扇子を納めていたことが広告から分かる。



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*平谷合資会社の紙製石盤の裏面と中身、軍人と軍刀らしき絵が描かれている。



 今回、この業界紙を見て一番驚いたのは、かなり前になんだかわからずとりあえず買った文房具の広告が載っていたことだ。それがこの「速記帖」である。何となく、書いては消して繰り返し使えるものということは把握していたが、これほど古いとは思ってなかった。また広告に「軍人携帯用として最好評なり」と書かれているが、そんな風に使われているとは思っていなかったのでこのうたい文句は興味深い。(実体のない単なる宣伝文句に過ぎない可能性もある。)

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*小林商店 速記帖の広告と速記帖。



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*速記帖の表紙ラベル。いかなる棒でも書けて、少し温めれば消えるとある。



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*速記帖の中身。青焼きコピーのような色と質感の紙を使っている。

商品以外は次回へ

 商品はこのほかにコンパスや製図器、絵具や糊なども載っていた。ここまで来て気づいたのだが、この業界紙は輸入品が載っていない。正確には欧米の輸入品を扱う会社もあり、その会社の取扱品目の中に輸入品の記載はあるのだが、これまで私が主に見ていた丸善やライオン事務器などのカタログでは必ず紹介されていたA.W.FABERやSTAEDTER、EAGLE PENCILといった有名どころの名前が全く出てこない。逆にこれまであまり見なかったメーカーや商品、広告が掲載されていることが新鮮に感じた。編集方針なのか、この紙面で輸入品を推してもあまり受けが良くないなどの状況があったのかはわからないが、一つ言えることとして資料は同じ時代でも複数のものを見比べないと、情報が偏ってしまうということだ。
 なお、参考までに同じ明治38年発行の丸善の「西洋小間物月報」という冊子に掲載されている文房具のページを抜粋で紹介しておこう。
 さて、なんだかんだでページ数も進んだので、今回はここまでとし続きは次回としよう。広告以外でどういうことが書かれているのか、かいつまんで紹介しようと思う。どうぞ次月もよろしくお願い申し上げる。

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*丸善の「西洋小間物月報」明治38年9月号より。ペン先、鉛筆、ペン軸は輸入品が並ぶ。



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*丸善の「西洋小間物月報」明治38年9月号より。こちらのページに掲載されているものは輸入品というわけではないが、筆墨硯商報とは雰囲気が全く異なる。なお、左下のベーラムは文房具ではない。




※1 図画教育調査委員会:文部省が教育的図画に着眼し、明治35年に正木直彦、黒田清輝、上原六四郎、白浜徹、小山正太郎などに図画教育についての調査を命じた。その調査結果が明治37年に「文部省須賀教育調査委員報告」として発表された。

※2 いわゆる万年筆:現在一般的に万年筆として認識されている万年筆の前に、針先万年筆(スタイログラフィックペン)という万年筆があった。日本に入ってきたのはスタイログラフィックペンの方が早く、そちらも「万年筆」と言われていたので、そちらではない方の万年筆という意味。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
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