1. 連載企画
  2. 文房具百年
  3. 【連載】文房具百年 #20「日本のクレヨンとその歴史」2

【連載】文房具百年 #20「日本のクレヨンとその歴史」2

たいみち

前回のおさらい

 前回は日本のクレヨンの歴史についての話を途中までしたところだ。
 一ヶ月休みを挟んでしまい、ずいぶん前のことのように感じるので、簡単に前回の内容を振り返ってみよう。
 クレヨンが日本に入ってきたのは、大正時代にアメリカのビニー&スミスのクレヨンが輸入されてからで、その後自由画教育が推奨されたことで広がり、国産のクレヨンは大正10年頃から作られるようになった、というのが割と一般的な日本におけるクレヨンの歴史だ。
 だが調べていくと、明治時代にはライオン事務器で扱っていた色チョークというものがあり、それはクレヨンと同じものと思われること、(色)チョーク、(色)蝋筆1という名称のクレヨンらしきものを含めると、明治20年には画材として紹介されており、輸入も始まっていたようだということがわかった。
 そして前回はライオン事務器のクレヨンを二つ紹介した。そのうちの一つはライオン事務器の大正元年のカタログに掲載されており、もう一つは明治43年のものという証言があるクレヨンだ。
では、その明治43年のクレヨンが日本で最初に作られたクレヨンか?いえ、そうとは言えないのだ、というところで終わっている。

詳細は前回の記事を御覧いただきたい。
https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/010387/

福井商店のクレヨン

 福井商店は現在のライオン事務器だ。その福井商店時代の古いクレヨンを三つと、福井商店のものではないが、関係深いクレヨンを一つ持っている。
 そう、前回は二つ紹介したが、福井商店のクレヨンはそれだけではないのだ。そして、その三つと一つの年代の順番がわからず、以前から頭を悩ましている。
 まず、その四つを紹介しよう。①WAXCRAYONと表記のある大正元年のカタログに載っているクレヨン、②パッケージの図柄が花模様で、明治43年と書かれた紙と一緒にあったというクレヨン、③は②と表の柄はよく似ているが隅に塔のマークが入っていて、裏は「TOWER CHALK」(以下タワーチョークと記載)と塔のイラストが書かれているクレヨン、④クレヨンではなくColour Pencilとなっており「TOSHIRUSHI」(以下塔印と記載)という商標のもの。

201912taimichi1.jpg*福井商店(現ライオン事務器)のクレヨン左から①~③と同じメーカーのものと思われるクレヨン④の表面



201912taimichi2.jpg

福井商店(現ライオン事務器)のクレヨン①~③と同じメーカーのものと思われるクレヨン④の裏面



 パッケージの雰囲気は①が最も古い印象を受ける。②と③は表の柄がほぼ同じなので、順番としては続いていると思われるが、どちらが先かわからない。
 ④はなぜここの仲間に入れたのか。中身が①②と同じ「Saijiyo Rohitsu」なのだ。

201912taimichi3.jpg
*②のクレヨンの中身(左)と④のクレヨンの中身(右)



 さらにパッケージには、「塔印」という商標と塔のイラストが描かれており、③の「タワーチョーク」と関係がありそうだ。だが、③のタワーチョークのクレヨンは「SPECIAL CRAYON」(以下「スペシャルクレヨン」と記載)と書かれた紙が巻いてあり、中身が違う。
 細かく観察するとわからない部分も多いが、物自体、それに時代も福井商店の3つのクレヨンの仲間と判断して、この4つクレヨンについて考えてみた。年代の情報としては②の「明治43年に存在した」が重要な情報だが、これもその後見つかったもう一つ情報により謎が増えた。

201912taimichi4.jpg
*福井商店営業品目録 明治43年(1910年)と①のクレヨンの掲載箇所



 ライオン事務器の明治43年のカタログが発見され、それにクレヨンが掲載されていた。だが、それは①のクレヨンだった。
 このカタログに掲載されていたクレヨンが②であれば、①と②の順番は特定できたが、これで更にわからなくなった。つまりカタログでは明治43年から大正10年まで①のクレヨンしか掲載されていない。
 ②のクレヨンは、明治43年に存在したとすると、もっと前からあったのだろうか。すると③のクレヨンはさらに前だろうか。
 ③のクレヨンをもう少し詳しく見てみよう。

201912taimichi5.jpg
*③のクレヨンの表面(左)と裏面(右)


201912taimichi6.jpg

*③のクレヨンの表面拡大。


 表側の右下には五重塔のようなマークと左下に「U.SUGIMOTO.CHALK&CRAYONS FACTORY」と書かれている。これは杉本亞筆※2というチョークメーカーで、日本で最初に白墨を製造した杉本卯之助の工場だ。※3ライオン事務器は古くからここのチョークを扱っている。


 この塔のマークが杉本亞筆の商標だとすると、④の塔印の「カラーペンシル」もおそらく杉本亞筆の商品だ。だがそこで長年謎だったのが①②④のクレヨンの紙に印刷されている「saijiyo rohitsu」(以下サイジョウロウヒツと記載)の存在だ。杉本亞筆の箱に入っているクレヨンに別のメーカーの名前と思われる文字が印刷されているのはどうにもしっくりこない。私は「西条蝋筆」か「西條蝋筆」というメーカーが見つけられないかと何年も前から調べているが、なんの情報も出てこない。杉本亞筆の下請けのごく小さい会社なのだろうか。表記が違うのだろうか「西條」「西条」「西城」「サイジョウ」「saijyo」思いつく言葉で検索を繰り返すが全く何もつかめない。
 この「サイジョウロウヒツ」の情報が見つけられれば、これらのクレヨンの順番や時代など、いくつかのことが解決するのではないかと思っていたが、最近ふとあることに気づき、この「サイジョウロウヒツ」の正体がわかった。いや、わかったと思う。多分ではあるが辻褄は合う。
 「サイジョウロウヒツ」なんてメーカーはないのだ。
 「西城」「西条」「西條」どれも違う。私の思い込みだ。「saijiyo rohitsu」は「最上蝋筆」つまり「最も良い蝋筆」の意で固有名詞ではない。だとするとこれだけ探しても何も出てこないのも道理だ。また、杉本亞筆と「西条蠟筆」といった2つのメーカー名が一つの商品に書かれているわけでもない。これがメーカー名ではないとすると④塔印=③タワーチョークと同じメーカーとみていいだろう。
 ここでこの4つのクレヨンの順番を推測してみた。最初に③があったとしよう。これだけ杉本亞筆の名前が入っており、且つ「サイジョウロウヒツ」ではないので、最初か最後にはまると考えた。最後は①の可能性が高い。
 すると次は②が妥当だ。③からタワーチョーク、杉本亞筆の名前を取り、ライオン事務器の商標だけのデザインにした②ができ、杉本亞筆は自社製品として④のカラーペンシルを作った。どちらも「サイジョウロウヒツ」として。
 ②③については、パッケージの花の絵が、明治34年のカタログと雰囲気が似ていることから、そのころ物ではないかと思っている。

201912taimichi7.jpg
*福井商店営業品目録。明治34年(1901年)の表紙と②のクレヨン



 そして4番目が①のクレヨンだ。これが明治40年代から大正時代まで続いた。
 細かい部分では、①と④は枠のデザインが似ており、また②③のみ「Made in Japan」の表記があることを考えると、③→②→④→①の順番は妥当な気がする。

201912taimichi8.jpg
*①のクレヨン(左)と④のクレヨン(右)は枠線がよく似ている。



 ここまで考えて、この原稿を書き始め、撮った写真を拡大したときに、またわからなくなった。

201912taimichi3.jpg 

 この写真で「サイジョウロウヒツ」のスペルが違うことに気づいた人はいるだろうか。
 左が②のクレヨンで「Saijyo Rohitsu」、右が④で「Saijiyo Rohitsu」と②のクレヨンは「ジョウ」に「i」がないうえに、もともとあったiを抜いたように隙間が空いている。もし、①や④で「Saijiyo」と書いていたもののスペルを直して「Saijyo」にしたのだとしたら、②のほうが新しいことになる。
 結論。今の時点ではやはりこの4つの順番は決められないようだ。さらに情報が集まらないと何とも言えないのが現実だ。ライオン事務器の明治39年のカタログでも出てくれば何かわかるかもしれない。なおそのカタログは発行されたことはわかっているが、現存は確認できていない。
 参考までに4つのクレヨンの特徴をまとめてみた。この情報から順番を特定できたら、ぜひご教授いただきたい。

201912taimichi13.jpg

 ただ、この4つはどれも杉本亞筆のクレヨンと考えられる。ということは、日本で最初に作られたクレヨンは杉本亞筆が作ったクレヨということでいいのではないか。
 ところがまだ先があるのだ。

クレヨンの特許

 古いことを調べるのに、特許の情報は無視できない。今回もクレヨンに関する特許を調べてみたところ、明治21年にこんな特許があった。

201912taimichi9.jpg
*明治21年の蝋筆に関する特許

 この特許自体は蝋筆を使うときに手が汚れないようにするためのものだが、中に「白蝋及び顔料を煉合して製造したる蝋筆」とある。「蝋と顔料を練り合わせている蝋筆」とは、これはクレヨンといっていいのではないだろうか。

 つまり明治21年には国内で「白蝋及び顔料を煉合して」蝋筆を作っていた可能性が高い。海外から輸入されたクレヨン(蠟筆)を加工するということも考えられなくはないが、輸入品を対象にしているのなら、こういった書き方はしないように思う。明治20年ころに丸善がチョークの名でクレヨンを輸入していた気配もあるので、明治20年台早々に国内でクレヨンが生産されていても不思議ではない。
 残念ながらその蝋筆自体を作る特許は見つけられず、他に情報もないので詳しいことは不明である。さらにここがゴールではなく、もう一つ触れておいたほうがいい「クレヨン」がある。

201912taimichi10.jpg
*杉本亞筆の広告。福井商店営業品目録 明治34年(1901年)より。

石版印刷とクレヨン

 クレヨンの歴史を調べていると「石版印刷」が出てくる。石版印刷でクレヨンを使う手法があるのだ。印刷用の石の上に油分を含むクレヨンで線や画を描くと、そこにだけインクが付くという特性を生かした印刷方法だ。
 大正3年発行の「美術手帳」※4の説明はこうなっている。
 「石版では石鹸、蝋、脂肪、油烟墨の混合から成る油質のクレーヨンが用ひられる。」
 また「画材の博物誌」※5では、クレヨンの用途は絵を描くことと「石版印刷の版下用」としており、石版印刷が入ってきた1860年(万延元年)にはクレヨンも同時に入ってきたのではと推察している。
 幕末に石版印刷と一緒に入ってきていたかは定かではないものの、明治初期には石版印刷用の付属品のクレーヨンは日本に存在していた。その記録を国立印刷局(当時の名称は「紙幣寮」)の沿革を記録した資料※6に見つけた。印刷局は明治7年に石版印刷を開始し、明治9年11月には「石版印刷師ポラールドに謀り石版印刷肉及び石版描写用『クレーヨン』の製造法を研究し、ついに成功したり」とある。
 日本国内のクレヨンの製造は、石版印刷の付属品としてのクレヨンも含めるとこれが最初ではないだろうか。
 もしかしたら個人の職人や家内工業的に作っていたものがあるかもしれないが、そこはどうにも把握できない。

クレヨン、クレーヨン、チョークに蠟筆

 これで一見落着と言えなくもないが、石版印刷の付属品でインクを付ける下絵を描くためのクレヨンと、絵を描くこと自体を目的とするクレヨンは区別したい。だがどう区別すればいいのだろう。
 そしてここで一つ矛盾に気づいた。前回、なぜ明治時代はクレヨンではなく「色チョーク」「色蝋筆」という名称だったのかについて、当時クレヨンという名前がなかった、あるいは誰も知らなかったからと理由付けた。
 だが石版印刷の世界では明治の初期からクレーヨンという言葉とモノがあった。印刷の付属品なので一般的に知られていなかったとはいえ、クレヨンという言葉はあったのだ。
 しかし、だ。「クレヨン」はフランス語が語源だ。だが、江戸末期から明治時代に広まった日本の印刷の歴史にフランスは出てこない。それでもクレーヨンという言葉はたびたび出てくる。
 どこからきた言葉だこれは。それになぜ石版印刷が関係する表記では「クレーヨン」「クレーヲン」と間が伸びる?

 ちょっと話がそれるが、私には不思議な力を持った友人がいる。
 たまに、期せずしてこの「文房具百年」の原稿のヒントを落としていってくれるのだ。前回このクレヨンの原稿を書いている最中に、その友人から雑談メッセージがきた。(特に私から何か質問したり話を振ったわけではない。)

 「明治5年の鉛筆の資料に『ぷっとろおどまたはぺんしる』ってあるけど、「ぷっとろーど」って何語?
 この時代だからオランダ語が優勢!って思って調べたらオランダ語だった!」※7

 「この時代だからオランダ語が優勢!って思って」

 幕末から明治初期に入ってきた石版印刷。石版印刷も「この時代」のものだ。
 オランダ語でクレヨンは何という?

 こんな時にはGoogle翻訳。さて、ほら、ああやっぱり!
 オランダ語でもクレヨンは「クレヨン」だ。
 そしてGoogle翻訳についている発音のスピーカーマークを押す。

 「クレーヨン」

 ちょっとした発見をした気分になりスピーカーボタンを何度も押す。
 「クレーヨン」「クレーヨン」「クレーヨン」

 ちなみにフランス語と英語の発音も確認した。

 「クレヨン」
 短い発音だった。
 些細なことだが、どうやら石版用のクレヨンはオランダ語を語源とするクレーヨンで、この時はまだフランスでいうクレヨンは日本になかった。画材・教材のクレヨンは最初、色蝋筆、色チョークであり、大正時代になってからフランス語の「クレヨン」が定着したのだ。この表記で石版用と画材・教材用を分けてもいいのではないだろうか。

私説「日本におけるクレヨンの歴史」

 日本におけるクレヨンの歴史は、まず石版印刷の付属品として日本に入ってきたところから始まっている。その具体的な年代は不明だが、明治9年には国立印刷局(当時の紙幣寮)が石版印刷用のクレヨンの製造に成功していることから、明治の初期にはすでに使われていたと推測される。
 石版印刷用のクレヨンも、当時からクレヨンという名称だったが、「クレーヨン」「クレーヲン」と間が伸びる表記で記載されていることから、オランダ語のクレヨンが語源と思われる。(今のクレヨンの語源はフランス語。)
 石版印刷の付属品ではなく、画材や子供の教材としてのクレヨンは明治時代には色蝋筆、色チョークなどと呼ばれ、明治20年頃には画材として紹介されていた。(「色」を付けずに「チョーク」「蝋筆」と書くこともある。)また、丸善ではこのころ輸入も始まっていたようである。
 画材・教材としてのクレヨンの国内生産は、明治20年頃には色の付いた蝋筆が作られていた節があるが、それが画材・教材としてのクレヨンにあたるのかは定かではない。ただし「クレーヨン」ではなく蝋筆と表記されていることから、画材・教材の可能性が高いといえる。
 明治時代に作られた国産のクレヨンで現存が確認できているものとしては、福井商店(現ライオン事務器)の「チョーク」があり、これは少なくとも明治43年には商品として存在していた。このクレヨンはチョークのメーカー、杉本亞筆によって作られた。なお、杉本亞筆は日本で最初にチョークを作った杉本卯之助の製造工場である。
 その後大正5、6年頃にアメリカからアメリカンクレヨンやビニー&スミスのクレヨンの輸入が始まり、山本鼎氏の自由画運動の影響もあって、クレヨンが教材として普及した。大正10年頃になると国内でもメーカーが増え、多くのクレヨンが作られた。

201912taimichi11.jpg
アメリカ ビニー&スミスの「クレヨラ」の箱。伊藤呉服店(現松坂屋)の組み合わせ文具に入っていた大正時代のもの。中に1本だけ「AMERICA」と書かれた紙にまかれたクレヨンが入っていたが、おそらくこれはクレヨラのクレヨンとは異なる。

※1 色チョーク・色蝋筆: 「色」がつかずにただ「チョーク」「蝋筆」といわれることもある
※2 亞筆(あひつ):白墨のこと
※3 日本で最初にチョークを製造した杉本卯之助:日本で最初にチョークを製造したのは杉本富一郎という説もあるが、富一郎と卯一郎の関係性は不明であること、このクレヨンには「U」のイニシャルが描かれているので杉本卯一郎説を採用した。
※4 美術手帳:石井柏亭他、日本美術学院発行 大正3年
※5 画材の博物誌:森田恒之 中央公論美術出版 平成6年
※6 印刷局の沿革の資料:印刷局沿革 印刷局 明治36年
※7 ぷっとろーど: potloodは鉛筆のオランダ語。「絵入智慧の環」(明治5~6年)には鉛筆の絵と、横に「ぷっとろおどまたはぺんしるともいう」と書かれているページがある。参考 文房具百年「輸入鉛筆と日本の鉛筆
https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/007597/

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
『古き良きアンティーク文房具の世界』をAmazonでチェック

【文具のとびら】が気に入ったらいいね!しよう