
【連載】文房具百年 #19「日本のクレヨンとその歴史」
クレヨンコレクションの始まり
私がクレヨンに興味を持ったのは、クレヨン自体ではなくパッケージデザインからだった。クレヨンは子供のお絵かき道具として使われるのが最も一般的だ。昔は今よりクレヨンを作るメーカーやクレヨンの種類も多く、子供の目を引く鮮やかな色彩に、かわいらしい、時にユニークな絵柄のパッケージのクレヨンが多く作られた。
*クレヨンのパッケージ。推定昭和初期から昭和20年頃。
単に見栄えの良いパッケージを探す蒐集が、ライオンの描かれた小さいクレヨンを見つけたことで潮目が変わった。このクレヨンはサイズもそれまで知っていたクレヨンよりはるかに小さく、箱の絵柄や雰囲気も全く異なる。日本製かどうかもわからないが箱に「CRAYON」と書いてあることから、かろうじてクレヨンであることがわかった。
のちにこれはライオン事務器のクレヨンであることがわかった。ライオン事務器に問い合わせる機会があり当時の歴史資料室のご担当の方々が大変親切に教えてくださった。
「ライオンの絵が描いてあるのですが、ライオン事務器さんと関係あるものなのかもわかりません。」という私の質問に対し、資料を添えて大正元年のカタログに載っているライオン事務器の製品らしいと教えていただき、たいそうテンションが上がったことを覚えている。
時代も見た目もそれまで知っていたものとは異なるこの小さなクレヨン。これがきっかけとなり、私はクレヨンの歴史や名前に興味を持つようになった。
*ライオン事務器のクレヨン
日本のクレヨンの歴史
日本におけるクレヨンの歴史を調べると諸説あり、手元の資料やインターネットで検索して見つけたものを下記に抜粋する。
●文具の歴史※1
「わが国に初めてクレヨンが輸入されたのは、大正4、5年でアメリカのスミス・クレヨン」
●通俗文具発達史※2
「大正6、7年頃より自由画の勃興に伴いあまねく使用せられ」
●クレオンに就いて※3
「大正10年の秋ごろから色鉛筆の売り上げが激減した。なぜならクレオンが代用されてきたからだ。」
●筆記用具の化学と材料※4
「国産製品が製造され始めたのは大正10年以降」
●「クレヨンの歴史」文責:清水靖子氏※5
「アメリカからクレヨンが日本に輸入されるのは、早くて1915年(大正4年)頃か、あるいは遅くとも1917年(大正6年)頃までの時期でした。このアメリカ製クレヨンは*1「クレイヨーラ」という商品名で今日でも市販されています。(中略)「1921年(大正10年)頃から国産クレヨンを製造する業者が相次いで創業しました。」
●ライオン事務器200年史※6
「クレオンの名のものは日本では、東京神田の五車堂や丸善が、大正6年(1917年)にアメリカンクレオン会社を紹介し、翌7年にはセールフレザー社を通じて「ビニイエンドスミスクレヨン」を輸入している。しかし実際には、このころすでに国産で販売されていたのである。」
*大正時代のクレヨン広告。東京文具新聞 大正10年(1921年)
*北陸文具界の櫻クレィヨン商会(現サクラクレパス)の大正13年の広告。大正10年の設立から間もない頃。広告に記載のある山本鼎先生」はクレヨンが教育用として広まるきっかけとなった「自由画運動」の提唱者。サクラクレパスのクレパスの開発にも携わっている。
おおざっぱにまとめると、大正4年から6年の間に海外から輸入され、国産品の製造は大正10年頃というのが通説となる。だが、改めて見直すと、「6、7年」や「頃」「遅くとも」などあいまいな書き方が目立ち、今一つすっきりしない。
資料を見ていると「今日のようなクレヨンは」「普通のクレヨン」といった表現が見られる。そして「今日のような」クレヨンは19世紀の終わり頃に作られたフランスのコンテ社のクレヨンを指すようだが、日本にコンテ社のクレヨンがいつ入ってきたのかは資料も見当たらず、特に重視されていない。そしてアメリカのクレヨンが大正時代に輸入されたところから、通説のクレヨンの歴史が始まっている。どうやら大正時代に輸入されたクレヨンが広まり、国産も数多く作られるようになったので、歴史として扱うのはそこからでいいだろうとなった感じがする。アメリカのクレヨンが広まる以前の歴史について触れていないところが、クレヨンの歴史に不明瞭さを漂わせているのではないだろうか。
ちなみにアメリカから輸入されたクレヨンも「ビニー&スミス社」という説が多いが、ライオン事務器はアメリカンクレヨンの名前も出てくる。これは当時の資料が残っているライオン事務器の記述の信頼性が高い。
*アメリカンクレヨン、ビニイ&スミス(クレヨラ)のクレヨン広告。福井商店文具時報※7 大正10年(1921年)。福井商店は現在のライオン事務器。
クレヨンの名前
なぜクレヨンの歴史は大正時代に輸入されたアメリカのクレヨンからなのか。それ以前にクレヨンはなかったのか。
クレヨンはあった。そして歴史から外されてきたのは名前のせいだろう。
クレヨン。英語で「CRAYON」、語源はフランス語の「CRAIE」(チョーク)からきており、フランス語では鉛筆もCRAYONである。日本語は、今はクレヨンに統一されているが、古いものは発音の関係で「クレオン」「クレイオン」「クレィヨン」などバリエーションが多く、オークションなどで漏れなく検索するのにはなかなか手間がかかる。
だが発音の違いではなく、「クレヨン」と呼ばれていなかったクレヨンがある。それは「色チョーク」「蝋チョーク」などと呼ばれており、冒頭のライオン事務器の小さいクレヨンがそれである。だからライオン事務器の社史では、大正時代にアメリカからクレヨンが入ってきたときには「すでに国産で販売されていた」と言っている。自社の色チョークという名のクレヨンがあったからだ。
*福井商店営業品目録 大正元年(1912年)より「色チョーク」
*カタログの画像と実物のクレヨン。
この「色チョーク」「蝋チョーク」と呼ばれたクレヨンについては、一部資料に「クレヨンより前にそういったものがあった」という記述があるが、「色チョーク」といわゆる「クレヨン」の違いがあまり明確でない。「蝋に顔料を混ぜて固めたもの」などの説明があるが、それだとクレヨンと同じではないだろうか。
そもそもなぜ「色チョーク」「蝋チョーク」という名前なのか。ライオン事務器のこの小さいクレヨンは、アメリカの輸入クレヨンが広まる前に発売されており、まだクレヨンが知られておらず、「クレヨン」と名付けても誰もわからないから「色チョーク」にしたのであろう。
さらに私がこれをクレヨンだと言う理由が二つある。一つは中のクレヨンに「Rohitsu」と書いた紙が巻かれているおり、私はこれを「蝋筆」と解釈している。クレヨンの原料にはパラフィン蝋が含まれるので、蝋の筆、すなわちクレヨンだ。また中国語で「クレヨンしんちゃん」は「蝋筆小新」と書くらしい。
*クレヨンには紙が巻かれており「Saijiyo Rohitsu」の文字がかろうじて読める。
そしてもう一つ、箱に「WAX CRAYON」と書いてあるからだ。カタログのイラストでは蓋を開けた状態のため、その文字が見えず、それでクレヨンと判断できなかったのかもしれない。それであれば今までのことは仕方なかったとして、私としてはこのクレヨンをクレヨンとして扱うべきと思うのだが、どうだろう。
なお、「色チョーク」「蝋チョーク」は「今のクレヨン」より質が悪く、色がうまく出ない、だから「今のクレヨンとは別のもの」のように語られていることがあるが、鉛筆などは伊達政宗※8や徳川家康※9の鉛筆は今の一般的な鉛筆とは形が違っていたり、品質も違うだろうに、「日本の鉛筆のはじまり」といった扱いになっている。それを考えると、この「WAX CRAYON」「Rohitsu」という看板をぶら下げているクレヨンは、多少質が悪くてもクレヨンとして扱われる資格が十分にあると思うのだ。
*ライオン事務器のクレヨンの箱には、「WAX SCHOOL CRAYONS」と書かれている。
改めてクレヨンの歴史に関係ありそうな情報
「クレヨン」という名前でないものも含めて、クレヨンの歴史に関係ありそうな情報を追加してみよう。
まず、明治20年発行の「梯氏画学教授法」※10でクレヨンというものが紹介されている。これはイギリスで1854年に出版されたトーマス・テイト著「Drawing For School」※11を基に書かれたもので、洋画の描き方の本だ。その中で、「石筆オヨビクレヨン(粘土の類より製したる画具)ノ使用」という項があり、更に次項では「ポルトクレヨン」というクレヨンを挟む道具も紹介されている。
*「梯氏画学教授法」明治20年(1887年)より。
気になる点は、ここで紹介されているクレヨンは、粘土を素材としているので、いわゆる「クレヨン」ではなくチョークを指しているのかもしれないということだ。(小さな声で言うとクレヨンのスペルの頭の部分「CRAY」を粘土の「CLAY」と誤訳したのではないかとちょっと疑っている。)ただ、この「ポルトクレヨン」をみると私が持っているライオン事務器の小さいクレヨンに丁度合ったサイズに見え、これがチョークだったとしても、初期のクレヨンの大きさや形はこの頃の「クレヨン」から引き継がれたものだと推測できる。小さくて使いづらそうだと思っていたが、こういう道具があったのなら納得だ。
次にクレヨンの輸入はいつごろからだったか。この「梯氏画学教授法」に書かれている「ポートクレヨン」の図だが、原本の「Drawing For School」にはこの図が見当たらない。だとすると、著者の手元にクレヨンを挟んだ状態の「ポートクレヨン」があったと思われ、これが書かれた明治19年にはポルトクレヨンとともに当時の「クレヨン」が輸入されていた可能性が大いにある。
当時こういったものを輸入している可能性があるところとしてはやはり丸善だろう。丸善の資料を調べてみた。
*明治21年の広告ビラ。丸善社史 昭和26年(1951年)発行より
*赤枠部分に「チョーク」があり、2つ隣の青枠部分は「白墨」と読める。
丸善社史に掲載されている明治21年の広告には「チョーク」が掲載されており、このチョークが「ポルトクレオン」の図にあるような「クレヨン」の可能性がある。普通の黒板に使うチョークということもあり得るのだが、よく見るとチョークとは別に「白墨」もあり、おそらく黒板で使う「チョーク」とは違うチョークであろう。そうなると蝋チョーク、色チョークの可能性が高い。
今回見つけられた、より具体的な情報は明治43年に飛ぶ。明治43年の洋画材料のカタログに色蝋筆という名前でクレヨンが紹介されている。
*画材のカタログに掲載された色蝋筆の画像。大日本絵画講習会 洋画材料総品目録 明治43年(1910年)
説明書きに色蝋筆の原名や形、製造方法などが述べられているところに、クレヨンがまだ一般的でなかったことが読み取れる。明治の終わりごろは、輸入はされていてもまだまだ一部の人だけが知っている状態であろう。
日本国産のクレヨンの始まりはいつなのか。「色チョーク」を「クレヨン」とすると、大正元年のカタログに載っているライオン事務器のクレヨンが最も古いように見える。
ところが、昨年骨董市でこんなことがあった。ライオン事務器のクレヨンで、前出のものとパッケージのデザインが違うタイプを見つけ、購入した時のことだ。
「それ明治(時代のもの)だよ」
「えー、大正でしょう。同じ種類で違うパッケージのを持っているけど、それが大正なので、それより後でしょう。それに国産クレヨンは大正10年以降って言われてるし。」
「これ(パッケージの柄)を見て、大正っていうのは、まだまだだね。これは明治の絵だよ。それにこれは、、、」
「はぁ。」
「明治43年って書いてあった。」
は?明治43年?骨董商のご主人、今の一言で日本のクレヨンの歴史が変わったよ。わかってる?
「えっ、どこに書いてあったんですか!?」
「これ、箱にまとめて入ってた。で、その箱に明治43年て書いてある紙が入っていた。」
「えーえーえー、その紙欲しい!紙!」
「捨てちゃったよ、そんなの。でも間違いない。」
うーん、重要情報だけど、証拠なしか。でも私はこの情報は正しいと思っている。
ちなみに私は数年前同じお店で同じものを買っているので、「箱にまとめて入っていた」点も辻褄があう。ここ数年のオークションでこのパッケージのものだけ何回か見かけており、それ以外にも数個存在を確認している。おそらくどれもこの骨董屋さんから出たものが動いているのだろう。
これがそのクレヨンである。明治43年に存在したクレヨンだ。私としては証拠はなくてもこれを「今わかっている限り一番古い国産クレヨン」としたい気持ちがある。
*ライオン事務器の明治43年のものらしきクレヨン。
*全く同じものだが、なんとなく買っておこうと思って購入。おかげで貴重な情報を得ることができた。
解けない謎
「日本で最初の国産クレヨン」については、実は数年前から気になっていたテーマだ。いつかはこの連載で触れようと思っていたが、書くとしたら新しい情報が手に入った時にしようと思っていた。そしてこの「明治43年」情報を得て、今回書くことにした。
だが、「国産クレヨンは明治43年からありました、それはこれです。」ときれいに幕を引けるかというと、実はそうでもない。他にも「最初の日本のクレヨン」候補がいて、よくわからないというのが本当のところだ。
残っている謎についても説明したいのだが、ここまでで相当な長さになってしまった。しかも文字ばかりで写真も資料ばかり。従ってその謎の説明は次回に回そうと思う。謎というほどのものでもない気がするが、ここに書くことで整理される部分もあり、そこから気づけることもある。退屈かもしれないが、どうぞ引き続きお付き合い願いたい。
※1 「文具の歴史」:リヒト産業株式会社、昭和47年発行
※2 「通俗文具発達史」:野口茂樹、昭和9年発行
※3 「クレオンに就いて」:羽車印クレイオン工場、大正12年発行
※4 「筆記具の化学と材料」:ぺんてる株式会社、平成8年発行。なお、この部分は日本絵具クレヨン工業協同組合のサイトより抜粋。http://www.jccma.jp/5.html#8
※5 「クレヨンの歴史」文責 清水靖子氏:日本絵具クレヨン工業協同組合のサイトより抜粋。http://www.jccma.jp/5.html#8
※6 「一意製実 ライオン事務器200年史」:株式会社ライオン事務器、平成5年
※7 「福井商店文具時報」:明治44年から発行された取引先を対象とした機関紙。タブロイドサイズの月刊新聞。
※8 伊達政宗の鉛筆:伊達政宗の墓所より発見された鉛筆で、木の軸の先端に芯がはめ込まれている。参照:http://www.pencil.or.jp/company/rekishi/rekishi.html#07
※9 徳川家康の鉛筆:オランダ人により献上されたと伝えられている。http://www.pencil.or.jp/company/rekishi/rekishi.html#07
※10 「梯氏画学教授法」:本多錦吉郎(訳述)、明治20年納本
※11 「Drawing For School」:Thomas Tate、1854年、イギリス
*大正時代のクレヨン広告。福井商店文具時報 大正11年(1922年)
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