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【連載】文房具百年 #25「封筒のデザインと工夫」

たいみち

封筒の紹介をしたい

 今回は封筒の魅力について私見を述べさせてもらうことにした。封筒というものは、主役である手紙を届けるための脇役の感が強く存在も地味だが、封筒は封筒なりにいろいろ頑張っており、私はそんな封筒が好きである。そこでそんな封筒の頑張っているデザインや工夫を紹介したいと思ったのだ。

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日本の封筒の始まり

 封筒の歴史は、ヨーロッパでは16世紀から17世紀にかけて封筒が使われはじめたが、広く普及したのは、イギリスの郵便制度改革がきっかけとなった。※1
 日本では、手紙を縦位置で巻き込む紙で「懸紙(かけがみ)」、「礼紙(らいし)」という紙が鎌倉時代頃から登場しており、用途からすると封筒の原型と言えるだろう。※2 また、このころ「糊封状」という手紙を糊で綴じて、飛脚を使って届ける際に使われた形態があり、「東京紙製品のあゆみ」※3ではそれが少しずつ変化して、江戸時代の文化・文政時代に封筒の形になったとある。
 なお、「大阪紙製品業界史」※4では明治4年に郵便制度が施工されてから、中国から来た封筒を模して袋状に貼るようになったとあり、同じ紙製品の業界史資料でも、東京と大阪では記述が違っている。地域性の違いでとも考えられるし、どちらのエリアでもそれぞれの要素があったのかもしれない。きっと、古くから書状を送る習慣があった日本では封筒は特別なものではなく、その登場や歴史が特に注目されるようなものではなく、いくつもの状況が重なった結果いつの間にか今の形に落ち着いたというのが正しいのではないだろうか。

202005taimichi2.jpg*明治7年の封筒。古い封筒はかなり縦長で細い形をしていた。(柏村信書簡 宍戸璣宛、国会図書館デジタルコレクション)

二重封筒

 封筒には紙一枚で作られている一重のものと、紙を重ねてある二重封筒がある。この二重封筒についても東京と大阪の業界資料の内容に違いがあるが、おおよそ明治30年代ころに登場したようだ。大阪紙製品業界史では、「明治30年に当時の状袋(封筒)商※5の有志が、古新聞を中紙に使った二重封筒を売り出し、『ニウス』『新聞』『二重状袋』『廃物利用状袋』などののぼりを立てて、大阪・京都の町を練り歩き、ニュース封筒の宣伝をした」とある。

202005taimichi3.jpg*ニュース封筒の宣伝風景。「大阪紙製品業界史」より。



 対して「東京紙製品のあゆみ」では初期の封筒用に使われた紙が大変薄く、中の文面が透けて見えるため、それを防止するためにネズミ色、紺色など濃い色の紙を封筒の内側に張り付けたのが二重封筒の発生のいわれと言っている。
 これも東京・大阪ともに中が透けないようにする工夫をしたが、東京は色紙、大阪は新聞紙を使ったという違いなのかもしれない。
 新聞を中に張り付けた二重封筒は見つけられなかったが、近いものを見つけた。まず、「廃物利用状袋」にあたると思うが、新聞紙そのままの封筒である。

202005taimichi4.jpg*廃物利用状袋(封筒)、明治36年。菊の5厘切手が貼られている。



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 新聞の日付は明治36年だ。中身はなく、下の方が切られているので、長い形だったのを開封するために切り取ったのであろう。墨書きなので、新聞紙の活字があってもあて名は読めないことはない。それにこれだと二重ではないが、確かに中の文面は透けないようだ。とはいえ、よくこれで届けてもらえたものだと感心する。
 次に、新聞ではなく、広告を刷り込んだ紙を使った封筒がある。こちらはオークションなどで比較的よく出回っているところを見ると、当時商売をしているところが一般的に使っていたと思われる。中身が透けないようにする目隠しの役割を果たしつつ、見た目も良くなかなか工夫されている。時代は明治から大正頃だ。ただ、郵便物としては、切手の貼る位置が左上ではなかったり、字も楷書ではなく、住所もざっくりしている。この頃の郵便物はこれでも届けられていたのだから、郵便配達もなかなか大変な仕事だ。

202005taimichi6.jpg*明治~大正頃の広告封筒。透けて見える広告が洒落ている。



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202005taimichi8.jpg*広告が印刷されているのは内側の袋。その上に薄い和紙が重ねてある。

洋式封筒

 洋式の封筒がいつから輸入されていたのかは明確ではないが、明治12年の丸善のカタログに「envelope」と掲載されているので、明治の早い段階で輸入が始まっていたと思われる。この丸善のカタログの「envelope」が日本製の可能性もなくはないが、他の商品がほぼ輸入品なので、封筒も欧米からの輸入品とみるのが適当だろう。また、商品としての輸入以外でも、欧米とのやり取りで日本に入ってきているので、いつの間にか日本にあったという感じであろう。
 だが、洋式封筒はなかなか定着しない。明治時代は和紙に毛筆縦書きの習慣であったので当然だ。その後も他の紙製品は紙が和紙から洋紙に変わり、筆記具が毛筆から鉛筆やペンに変わることで和式から洋式に切り替わっていくが、封筒については紙が洋紙になり、毛筆以外の筆記具が普及しても和式の縦型が洋式よりも多く使われる傾向が長く続く。これは封筒が単に手紙や書類を中に入れて、あて先に届けるだけの道具ではなく、その存在に「礼儀」をまとっているからだと考える。日本では縦型の封筒の方がきちんとしていて失礼がないという印象を受けやすいのだ。前出の通り封筒の原型は「礼紙」というものだが、名前は変わってもその意味合いをずっと持ち続けているということだ。

202005taimichi9.jpg*明治18年の洋式封筒、長崎省吾関係文書、国会図書館デジタルコレクション。長崎省吾は宮中顧問官で多くの海外渡航歴がある。

おしゃれな封筒

 ここまで紹介した封筒は実用的な封筒になるが、大正時代には形や色柄に凝ったおしゃれな封筒が登場する。当時便箋で加藤まさをや竹久夢二、蕗谷虹児などの人気挿絵画家のイラストを使った意匠便箋・叙情便箋が作られて人気を博したが、封筒にも意匠封筒・叙情封筒ができて、売り上げが激増したという。また、最近も大変な人気の小林かいち※6が京都のさくら井屋※7で絵封筒を出し始めたのも大正時代である。
 そして私が今回紹介したいと思う封筒は、おそらくその後の昭和7、8年頃に出てきたものだ。どういう封筒かは画像を見てもらうのが早いと思うので、ここから先は画像とコメントを中心に封筒を紹介していくことにする。

■アールデコ調のカットとふちの色が美しい封筒
 この封筒は骨董市でまとめて入手した。入手した100枚以上の封筒が一枚の重複もなく、すべて異なるデザイン・色・柄であったことから、誰かが丁寧に集めて大切にしていたものであろう。その中の半数以上がこのような特徴的なカットが美しい封筒であった。私は、人気のイラストや模様を封筒に刷り込むことは、封筒が他の商品との違いを出すためのアピール手段としては少し安易に感じてしまうのだが、これは封筒ならではの形を生かしつつ、シンプルな美しさを表現しているところが素晴らしいと思う。正直、この封筒を見たときは一種の感動を覚えた。

202005taimichi10.jpg*ふた部分のカットとふち取りが美しい封筒。まとめて入手したが、その後も違うパターンの封筒があるのを確認しており、種類がとても豊富。複数メーカーで作っていたのかがわからないが一時期流行ったのではないかと思われる。



202005taimichi11.jpg*封筒のサイズは全体的に小さめだが、その中でもさらに小さいものや貝の形などサイズのバリエーションもある。



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*同じシリーズの縦型。さらに凝ったカーブを見せている。



 私が入手したのは封筒だけだったが、後日似たタイプで便箋とセットになっているものも見つけたので、セットの便箋も作られていたようだ。

202005taimichi13.jpg*同じ箱に入っていたが、右下の封筒の束はセットではないかもしれない。



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■パラフィン紙にくるまれた封筒
 中に絵柄が書かれている封筒をパラフィン紙で覆ってある封筒をよく見る。時期的には昭和15年くらいまでと骨董商の方が言っていた。中の絵は中原淳一や松本かづちなどの当時の人気の挿絵画家のものもあれば、単に花や動物などのシンプルなものなど幅広い。印刷した紙に透ける紙をかぶせているところは明治時代の広告封筒と似ているが、こちらは女性・女児向けのデザインである。パラフィン紙で覆っているのは、下地の絵柄が宛名などの文字を邪魔しないためか、見た目や質感の工夫なのかはわからない。

202005taimichi15.jpg*パラフィン紙に覆われた封筒。絵が直接見えないところやパラフィン紙の質感がロマンチックに感じられる。



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■書簡封筒
 封筒に便箋がくっついており、手紙を書いてそのまま綴じ、受け取ったほうは点線で切り離して封を開けるタイプもある。この形は今も「ミニレター」という名前で郵便局が取り扱っている。(ミニレターにミシン目は入っていない)不思議なもので、切り取り線のミシン目があるだけで、とても気が利いたもののような気がしてしまうのだ。

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*書簡封筒。



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*書簡封筒の中。便箋には「BOND」と透かしが入っていた。



■ぶか張り封筒
 大正時代に「ぶか張り封筒」というものが流行った。どういうものかというと、普通は平坦な封筒をふわっと厚みを持たせて仕上げたものだ。当時まだ封筒を作るには職人の手作業で行っていたが、機械化が始まる前に、「バッタンコ」という道具を使うようになり、そのバッタンコが「ぶか張り」のふわっと仕上げを可能にした。ふわっと仕上げのどこが人気に結び付いたのかはわからないが、手紙を入れやすいとか高級感があるとかそんなところであろう。
 そういう製法があったことを知らずにたまたま入手していたふんわり封筒がある。松坂屋の伊藤呉服店時代のマークがあるので、大正時代のものだ。同じ枚数の平坦な封筒と比べると、かなり厚みがあるのがわかる。
 切ったり覆ったり膨らませたり、封筒もいろいろ考えられたものである。

202005taimichi20.jpg*仕上げ時に膨らむ加工を施したぶか張り封筒。伊藤呉服店(現松坂屋)。



202005taimichi21.jpg*通常の封筒と比べると倍近い厚みの差がある。ただし膨らんでいるといっても空気なので、簡単に平坦になる。

実用封筒の工夫

 おしゃれな封筒の工夫をいくつか紹介したが、実用封筒では使えない手段が多い。実用封筒は真面目に礼をまとって相手に届かなければならないのだ。そんな実用封筒の自己PRポイントはふたの形と帯である。ささやかながらふたの形が少し違っていたり、帯のデザインで頑張っている封筒がみられるのは、土台となる紙質や機能性ももちろん大事だが、店頭で目に留めてもらうためのわかりやすいポイントが必要だからだと思っている。

202005taimichi22.jpg*実用封筒のふた部分。封をする部分のエンボス加工が洒落ている。



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*実用封筒と帯。とても細かい柄で高級感が感じられる。



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*洋風封筒と帯。戦前の洋風封筒は帯を見ると一見欧米の商品に見えるような垢ぬけたデザインが使われている。よく見るとローマ字綴りで日本語が書かれていたり、「TOKYO」「OSAKA」などの表記があることが多い。



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*封筒の帯。誰かが集めていたものを骨董市等で入手した。



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*軍事用封筒と慰問手紙用の封筒。白封筒2つはもともと普通の実用封筒であり、帯もきれいな柄だが特別なものではない。右2つは軍事用として作られており、切手を貼る部分のデザインが鉄兜と陸軍のマークになっている。
左端の「戦地へのおたより」の帯の封筒は、松本かづちのクルミちゃんの慰問手紙レターセットの封筒になる。封筒は特徴がないが、帯にかづちのイラストが入っている。

オキナの封筒見本帳

 私の思う封筒の魅力を紹介してきたが、最後にオキナ株式会社の封筒見本帳を紹介したい。時期は戦前、昭和10年代だろうか。日焼けや破れ、汚れなどあるが、しゃれたデザインの封筒がぎっしり綴じてあるこの見本帳は大好きな資料の一つだ。写真ではすべて紹介しきれないので、全頁を動画で撮影した。
 なお、下記に数ページ写真でも紹介するので、動画を見る際の参考にしてもらえればと思う。

202005taimichi27.jpg*「翁印 高級書簡筒」見本帳表紙。



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*「インキ止」と書かれた帯の封筒から始まっている。「インキ止め」はインキで書いてもにじまない紙を使っている。



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*以前東京の神田川周辺で紙漉きが盛んにおこなわれており、封筒の一大生産地でもあった。当時の神田川は江戸川と呼ばれており、そこで作られた紙が江戸川紙である。



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*シンプルながら和風でモダンなデザインが良い。現代でも使えそうだ。



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*十全封筒。右側に糸が仕込んであり、それを引くことで封が切れる凝った造り。



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*大きなサイズの角型封筒も見本がある。ここに「日本標準規格寸法」とあり、調べると昭和8年に封筒など事務用品のサイズの規格が定められているようなので、この見本帳のサイズもその時のサイズを基準にしていると推測した。



ざっとかいつまんで紹介したが、全体は動画を参照してほしい。
[翁印封筒見本帳紹介動画]




 今回はここまで。
 この原稿を作っているときに緊急事態宣言が緩和されたが、首都圏はまだ続いているし、本当の終息がいつになるのかまだわからない。来月、連載がアップされる頃にはよい方へ状況が変わっていることを願う。
 どうぞ皆さまも心身ともにお元気でいてください。


※1 封筒の歴史:Wikipedia
※2 「懸け紙」「礼紙」について:奈良時代から存在するという説もある。「コトバンク」、「金沢北条氏の研究」(永井晋、2006年、八木書店) 参照
※3 「東京紙製品のあゆみ」:東京紙製品卸業協同組合、S57年(1982年)
※4 「大阪紙製品業界史」:大阪紙製品工業会、S55年(1970年)
※5 状袋:封筒の事。当時は封筒を状袋といった。
※6 小林かいち:日本の木版絵師、図案家である。本名は小林嘉一郎。大正後期から昭和初期にかけて京都で木版絵師として絵はがき・絵封筒などのデザインを手がけた。(Wikipedia)
※7 京都さくら井屋:京都で紙モノを扱っていた老舗の土産店。小林かいちはじめ絵封筒の人気が高い。2011年に閉店。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
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