【連載】文房具百年 #74「コピー用鉛筆の歴史をめぐる話」
たいみち
コピー用鉛筆について更に調べてみた
前回はコピー用鉛筆の毒性について紹介したが、調べるうちに、コピー用鉛筆の歴史にも興味が湧いた。 コピー用鉛筆はいつからあった?いつまであった?そういえば、コピー用のインキのことも知らない。
今回は、コピー用インクの始まりからコピー用鉛筆の始まり、そしてその後の使われ方をたどってみた。調べていくと、思いがけない人物へつながっていて、個人的に「おお!」となる発見もあった。

コピー用インクの始まり
コピー用鉛筆の前に、コピー用インクの歴史を追ってみた。コピー用の鉛筆とインクはどちらもアニリン染料が使われていたため、インクを調べれば鉛筆の歴史にもつながるのではないかと思ったからだ。
だが、コピー用インクだけの歴史は調べられず、コピーの歴史につながった。最初のコピーの発明で使われたインクが初のコピー用インクとなる。 コピーの発明は、1780年イギリスの特許 第1244号ジェームズ・ワットによる 「書簡やその他の文書を迅速に複写する新しい方法」が世界初だ。
おお!ジェームズ・ワット?知ってるぞこの名前。そう、蒸気機関で産業革命を進めたジェームズ・ワット※1だ。意外な歴史上の人物の登場に驚いた。
調べると蒸気機関の特許が1769年、コピーの特許が1780年とある。1760年代の産業革命で増えた事務処理を効率化するために、それまでの手書きによる転写から原本を丸ごと写す方法を考案したという説もある。
ワットのコピーの方法は、書かれた原本の上に湿らせた薄い紙を押し当て、インクを紙の裏側へしみ込ませるというもの。インクが乾きすぎても、濡らしたときに流れても失敗するため、当時一般的だった没食子(もっしょくし)インク#2に砂糖やゴム糊を混ぜ、乾燥を遅らせつつ流れにくくした「コピー用インク」が作られた。
(余談だが「タンニン系インクに砂糖やゴムを混ぜると転写可能」※3となるらしい。今度やってみようと思う。)
また、複写の際に圧力をかけるための「コピープレス」も同時に発明されている。製本用プレス器に似ているが、用途に合わせて細部が異なるらしい。
なお、ジェームズ・ワットのコピーの特許は、1780年2月14日登録、No.1244(イギリス)であることはわかったが、あまりに古いことと、イギリスの特許をうまく検索できず、原本の確認はできなかった。
*コピーするときに紙に圧力をかける「コピープレス」----------------------------------------------------------------------------------------------------------
◆ちょっと余談◆
コピー用インクから、ジェームズ・ワットにつながったことに驚いたが、ワットについてもう一つ愉快に思ったことがある。
ジェームズ・ワットは「ルナ・ソサイエティ(The Lunar Society of Birmingham)という団体に所属していた。ルナ・ソサイエティは、有力な学識者、自然哲学者、事業経営者、発明家、化学者、作家らが組織した非公式の交流団体で、満月の夜に会合を開いていたことでこの名前になった。なぜ満月の夜かというと、街灯もあまりない時代に、満月の夜なら議論に花が咲いて帰りが遅くなっても明るいから、という理由らしい。
ルナ・ソサイエティには、ジェームズ・ワットはじめ、多数の学者が所属しており、関係者としてベンジャミン・フランクリンの名前もあるなど、錚々たるメンバーの団体である。その豪華な関係者の中に見覚えのある名前を見つけた。
ジョセフ・プリーストリー。
そう!消しゴムの発明者として知られているプリーストリーだ。(実際はプリーストリーが発明したのではなく、販売されているのを見つけて広めたのが正しい。本当の消しゴムの発明者は発明家のエドワード・ネアンといわれている。) なんと、コピーを発明したジェームズ・ワットと消しゴムを発見して広めたプリーストリーは、同じ交流団体に所属する仲間であった。この事実は、文房具好きとしては、なかなか興味深い。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
*JOHANN FABERのコピー鉛筆「ALLIGATOR」。芯の性質が通常の鉛筆と異なるためか、芯が縮んだようになっている。コピー用鉛筆の始まり
コピー用インクの始まりは1780年頃とわかったが、これは没食子インクの改良であり、アニリン染料を使ったコピー用鉛筆には直接つながらない。
コピー用鉛筆の始まりは、ドイツのSTABILOの1875年の特許が最初といわれている。STABILOのホームページには、1875年の特許の画像が貼られており、次の説明が書かれている。
_________________________________________________________________________________________
カラー複写ペンの発明 1875年、グスタフ・アダム・シュヴァンホイサーは、黒、赤、青のカラー複写ペンに関する特許を申請し、当時まだ紫色だった競合製品を圧倒した。こうして、オフィスワークは機能的であるだけでなく、色彩豊かなものとなったのだ。(STABILOホームページよりGoogle翻訳にて翻訳。https://www.schwan-stabilo.com/en/170-years-schwan-stabilo)
__________________________________________________________________________________________
STABILOの発明は、当時紫色のみだったコピー用鉛筆に黒・赤・青のカラーを作り出したとあり、それは1875年にはすでに紫色のコピー用鉛筆が存在していたことを意味する。つまり、コピー用鉛筆の最初はSTABILOではないということになる。
*STABILOのコピー鉛筆。 STABILOの特許は、1875年にアメリカでも申請・登録されていた。(No.169105、1875年4月5日申請、10月26日登録)
そこには、「コピー用鉛筆の紫以外の色を作る方法」ということは書かれておらず、コピー用鉛筆の芯として使える化合物として酸化クロム硫酸塩を使った製造方法が記載されている。ただ、最後に「私は、複写用鉛筆へのアニリンの使用について権利を主張するものではない。」という一文があり、すでにアニリン染料を使ったコピー用鉛筆が存在していたと思える節がある。それが事実だとすると、コピー用鉛筆を最初に作ったのが、どこの誰かは不明である。
ちなみに酸化クロム硫酸塩とアニリン染料の違いは、素人には理解できないので触れずにおく。また英文をGoogleで翻訳しているので、意味の取違いの可能性もあることを、記載しておく。
古い特許をもう一つ見ておこう。アメリカの特許でNo. 192555 、1875年3月5日申請1877年6月26日登録、チャールズ・ワルプスキーによる「COPYING-PENCIL」。こちらは、アニリン染料を使用することが明確に記載されており、この特許が、汎用的に使われるようになったコピー用鉛筆の元となったと思われる。
なお、STABILOの特許のドイツの登録日が1875年2月14日、ワルプスキーによるアメリカでの申請が同年3月5日、その後STABILOは同月3月15日にアメリカでの特許の申請書を作成している。(申請は4月5日)
この日程の詰まり具合は偶然かもしれないが、同時期に欧米でコピー用鉛筆について複数社が発明・販売をしていた状況にあったと想像できる。
*ワルプスキーの特許申請書の画像。その後のコピー用鉛筆
コピー用鉛筆はいつまで使われていたのであろうか。コピー用鉛筆は、用途の変化とともに姿を消していった。しかし、国や分野によっては意外な使われ方が残っている。
・イタリアでは現在も選挙で使用
驚いたことにイタリアでは、現在でも選挙の投票用紙への記入はコピー用鉛筆が使われている。消しにくく、たとえ消したとしても跡が残ることによる改ざん防止、裏から透けにくい、他の投票用紙に移らないといったコピー用鉛筆の特性が選挙の公正性に合致したからだ。 初使用は1946年の国民投票。現在の供給はFaber-Castellが一手に担っている。(参照:https://www.wired.it/article/matita-copiativa-voto-elezioni-2022-perche/)

*イタリアのコピー鉛筆。但し現代のものではなく、推定1930~40年代頃のもの。 ・日本では昭和20〜40年代が最終期
日本で日常的に使われていたのは、おそらく昭和20年代くらいまでであろう。コピー用としての用途はカーボン紙の登場やコピー技術の多様化によって使われなくなっていた。その後、一部の公的書類の署名など、「消しにくい」特性に合った使われ方が残ったが、最終的にボールペン移行していった。 国会図書館デジタルコレクションで過去の資料を検索すると、輸出関税関係や、郵便関係でコピー用鉛筆に関する説明などが昭和40年前後※4まで確認できる。
・医療現場での使用
歯科や外科の医療現場でギプスや歯型を取るときの目印としても使われており、この辺りは前回の「紫鉛筆と毒の話」(https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/022328/)で調べたことともつながる部分である。

*三菱鉛筆のコピー鉛筆。比較的後の時代のもの。推定昭和30~40年代頃。特許の裏側:EAGLE PENCILの影
コピー用鉛筆の特許を調べていて、ふと気になったことがある。 「コピー用鉛筆についてEAGLE PENCILは関与していなかったのか。」 1900年前後のアメリカの文房具、特に鉛筆・消しゴム等の筆記具について調べていると、EAGLE PENCILの特許が関係していることが多い。そしてその特許は自社の発明ではなく、発明者から買い取っている傾向がある。コピー用鉛筆についても、EAGLE PENCILの関わりがあるのではないかと思い、ワルプスキーの特許を見直したところ、冒頭に「ジョゼフ・レッケンドルファーに譲渡」とあることに気づいた。
ジョゼフ・レッケンドルファーはEAGLE PENCILの創業時のパートナーだ。そもそもEAGLE PENCILの創業時(1856年)の社名は「ベロルツハイマー・イルフェルダー&レッケンドルファー」である。※5 つまり、ワルプスキーのコピー用鉛筆の特許も実はEAGLE PENCILに譲渡されていたというわけだ。
さらに調べると、消しゴム付き鉛筆の発明者ハイマン・リップマンの特許(1862年)を買いとったのもレッケンドルファーであった。レッケンドルファーは1875年に消しゴム付き鉛筆の件でFABER社を訴えたことでも知られ、このころの文房具史上に影響を及ぼしている人物だった。
*EAGLE PENCILのコピー用鉛筆。 
*EAGLE PENCILのコピー用鉛筆が入っていた箱のラベル。1906年の日付が印字されているが、箱の底に1918年の日付のスタンプが押されていた。
*EAGLE PENCILのコピー用芯。「PAT JUN 26 1877」とワルプスキーの特許登録日が刻まれている。今回のまとめ
コピー用鉛筆の歴史を簡単にまとめるつもりが、調べるほどに人名や特許がつながり、思いがけず複雑な道のりになってしまった。だが、散らばっていた情報が一つの線で結ばれていく過程はとても面白かった。 ここまで読んでくださった方には心から感謝したい。 いつかコピー用鉛筆に興味を持った誰かの役に立つことを願って、今回の調査をひとまずまとめとしたい。
※1:ジェームズ・ワット(James Watt) :1736年~ 1819年。ジェームズ・ワットは、18世紀に蒸気機関を大きく改良したイギリス(スコットランド)の発明家。彼の技術は産業革命を大きく進める力となり、電流の単位「W(ワット)」の由来にもなった。
※2没食子(もっしょくし)インク:没食子(もっしょくし)や五倍子(ごばいし)などの植物の瘤に含まれるタンニンと、硫酸鉄水溶液、アラビアゴムなどから作られるインクである。 また、一般的にブルーブラックインクと呼ばれているものの多くは、これらを主成分として作られている。
※3 タンニン系インクに砂糖やゴムを混ぜると転写可能:没食子酸インクなどがそれに当たる。
※4 40年代まで資料で確認:「文研社 編『筆記用品百科』(1977年発行)にも、コピー用鉛筆の説明があり、「消しゴム、インキ消しゴムなどで消すことのできない鉛筆で、大切な書類やサインなどに用いられる。その他、水に浸すと紫色に変化する黒紫コピー鉛筆もある。」と紹介されている。
※5 EAGLE PENCIL総合当時の社名:「TIMES」1932年の記事より。https://time.com/archive/6863137/business-finance-pencils/

プロフィール
たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。

