【連載】文房具百年 #64「ガラスのガリ版やすり」 (2)
プラスチック消しゴムの始まりの頃について書き忘れたこと
ガリ版のやすりの続きを紹介する回だが、前々回のプラスチック消しゴムの件で、書き忘れたことがあった。それだけで1回分とするほどの量ではないし、この件は簡単に追加情報が出てくる気配もなく、続きを書ける日が来るかがわからないので、ここで補足させていただく。
プラスチック消しゴムの最初は、昭和26年頃にシードが作った「ビニーナー」という消しゴムがあったのではないかというところで終わっているが、同時期に怪しいものがもう一つあった。横浜ゴムが昭和25年に「VYNON(ビノン)」という商標を文房具として出願し翌26年に登録されている。横浜ゴムは、「ヨコハマタイヤ」の会社だ。具体的に商品があったのか、それは何かなど詳細はわからないが、シードのビニーナーと同時期であること、スペルの頭がビニールを想起する「VY」で始まっていることなどから、ビニール消しゴム、つまりプラスチック消しゴムだった可能性があると思っている。
なお、横浜ゴムの社史を読むと、戦後に雑貨の製造を手掛けていたり、塩化ビニールの工場があったりと勝手に想像を膨らますことができる程度の情報を見つけることができた。
そしてもう一つ。発売されたことが明確なプラスチック消しゴム(ビニール消しゴム)で、最も早いのは今のところ昭和31年の「PAGODAビニール字消し」と紹介したが、同時期に東京化工という会社もビニール製の消しゴムを出していた。「ラバーダイジェスト」という業界誌で昭和31年3月号に、「東京化工、ビニル字消しを市販」と紹介されている。こちらも商品名など詳細はわからない。また東京化工という会社も、調べるとカセットテープなどの「マクセル」をもともと製造販売していた会社が出てくるが、同じ会社なのかはわからない。
どれも情報としては曖昧なので仮説レベルだが、プラスチック消しゴムは、昭和25年~26年頃に一度数社が製造販売したが、何らかの理由で定着せずいったん終了し、その後昭和30~31年に複数社がほぼ同時に製造販売し、そこから定着していったというのが大筋の流れなのかもしれない。
ガラスのやすりの紹介
前置きが長くなったが、今回の主役であるガラスのやすりの話をはじめよう。
そもそも今回ガラスのやすりを紹介しようと思ったきっかけは、「使い方」にある。
このガラスのやすりをSNSで紹介したところ、使い方について質問があった。それに対して私は答えを持ち合わせていなかったが、「きたきつねの文房具日記」(http://northfox.cocolog-nifty.com/stationery/)のきたきつねさんが代わりに答えてくれた。それを見て何らかの形で使い方を残したいと思い、こちらの連載で紹介することにした。とはいえ、ガリ版本体を持っていないので、使い方があっているかの答え合わせができない。そこで、ガリ版原紙+スタンプ台でも印刷のようなことができるかを前回確認してみた。
※#63「ガラスのガリ版やすり」 (1) https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/019554/
その結果、原紙+鉄筆+スタンプ台で、それらしいことができると分かったので、今回はガラスのやすりを使ってみることにする。先日入手したガラスのやすりは、1枚のプレートにイラストがたくさん描かれており、プレートの種類自体もかなり豊富だった。イラストはどれも素敵で、かなり迷ったが今回は、その中から2枚購入した。このデザインのイラストや罫線が、ガリ版印刷の質感で再現出来たらとても楽しい。
*線の部分の拡大写真。原紙を上に乗せ、線の上をこすって原紙に跡をつけるので、線の部分は出っ張っている。
メーカーは昭和謄写堂。※1特許登録番号があったので調べてみた。昭和の特許は特許番号ではなく公告番号で登録されていることが多いため、登録番号で特定できないのだが、おそらくこれであろうという特許が2つ見つかった。昭和30年に登録されており、イラストやパッケージの感じから、時代感も一致する。
内容は「ガラスの方が金属よりも固く、且つ透明なので図を把握しやすい」という点がポイントになっている。
特許の内容では原版に着色すると書かれてあるが、入手したものは特に色はつけられていない。もう一つの特許は、両面をやすりにしたもので、どちらの向きでも原稿が作れるというものだ。
使い方
では、これをどうやって原紙に移すのか。きたきつねさんが教えてくれたところによると、「やすりを原紙の下に入れ、スプーンのような形の太い鉄筆でゆっくりこする」そうだ。また、前回使ってみた金属製のやすりのケースに、やすりの種類と使い方について説明書が入っていた。
このガラスのやすりは、その中の「アートやすり」と「美術やすり」(日本語にすると同じことではないか?)に当たるようだ。似たようなものではないかと思うのだが、よく読むとどうやら「アート」ではなく「美術」の方らしい。「アートやすり」は「大きなツブシ用扁平鉄筆」「ヘラ型」「バチ型」を使用するとあり、「美術やすり」は「ヘラ型」。きたきつねさんが言っているのは、形状からしても「ヘラ型」鉄筆だろう。
*左:ヘラ型鉄筆、右:バチ型鉄筆
ではそろそろやってみよう。ガラスのやすりを謄写版の原紙の下に入れ、上から鉄筆でこすってみる。
少しこすると、原紙に引いてある蝋が削れる感覚があり、原紙に跡がついていく。
このくらいでどうだろうと、一度試してみることにした。やすりから原紙をそっとはがし、スタンプ台へ置く。
指で圧力をかけて、インクを浸透させようとするが、浮かび上がる形からすると、うまくいっていないようだ。
表を向けて見ると、やはり細かい線がほぼ写っていない。インクの違いもあるかもしれないが、鉄筆で描いた文字や絵は割とうまくいったので、単に原紙への移し方が足りないのだろう。
その後鉄筆を変えてみたり、対象のイラストを変えてみたりと色々試した結果、多少コツがつかめた気がする。鉄筆でこする際に、イラストの線の上を線に沿って、細かく根気よくこするといいようだ。こすっていると、かすかに紙が削れるような「サクサク」とした感覚があった。ただし力を入れすぎると原紙がやすりにくっついてくり抜けてしまったり、破けたりするし、そっとやっていてもインクが通るだけの穴が開かない。
目視でもある程度貫通していることがわかるが、切れていない(どこか一部はくっついている)ような状態が、私は比較的うまくいった。
*パイナップル。線がつながっているようでうまい具合に途切れており、原紙が抜けてしまうことなく、これが一番うまくいった。
*文字やイラストと同様、1回目よりも2回目、3回目の方が安定してくる。
*ニワトリの親子。やすりのイラスト。
*何回もチャレンジしたが、元絵が細かくてうまくいかなかった。
*街並みデザインの罫線というのだろうか。やすりの元絵。
*右の塔の屋根や木の一部が抜けてしまったが、捺してみるとそのあたりは意外と気にならない。
以上のような結果である。結論、あまりいい出来にはならなかったので、ガラスのやすりの使い方(原紙への転写の仕方)として参考にしていただければと思う。どうやらそれなりの習熟度とコツを把握することが必要のようだ。
子供用ガリ版
ガリ版本体は持っていないといったが、子供用のおもちゃのガリ版を一つ持っていた。本来のガリ版とは少し異なるが、「ガリ版とはこういう感じのもの」というのは伝わると思うので、紹介しておこう。
箱の中には、小さなやすりと鉄筆、印刷するための本体、上から圧力をかけるためのローラーが入っている。箱のサイズはB5くらいなので、印刷出来るのはハガキサイズくらいまでだ。
はがきサイズ大のガリ版原紙と、その下にインクを塗ったらしき跡がある。本来のガリ版は、下から印刷する紙→原紙→インク→ローラーだが、これはインクを塗った上に原紙を置き、その上に印刷する紙を置いて、上から圧力をかける仕組みのようだ。
インク、原紙、紙をセットしたら、上からローラーを転がして圧力をかける。このやり方だと、インクが付くのが下の台だけなので、汚れにくくて、子供が遊ぶにはちょうど良かったかもしれない。単純な仕組みなので、今でも使えそうなものだが、ローラーを転がすところが劣化してバリバリなので使ってみるのはあきらめた。
ガリ版今昔
最後にガリ版体験談をもう一つ。
今回、ガリ版利用経験のあるきたきつねさんから教えてもらった事で、ガリ版のことを書こうと思ったわけだが、前回の内容を読んで、「えんぴつ一万本超えちゃいまし展」※2主催の山台氏が、経験談を教えてくれた。これも貴重な話なのでぜひ紹介したい。
山台氏は競馬新聞の仕事をされており、速報を出すときに特有の使い方をされていた。
「ガリ版は小さいころから商売で使っていました。活字で組版をして活版印刷だと時間がかかってしまいます。速報ではガリ版が一番。原紙は1枚だと印刷枚数に限りがあるため、3枚に重ねてまとめて作っていました。温めたコテで原紙の端を当てると、蝋が溶けて原紙がくっつきます。プロの書き屋さんを雇って原版を作っていました。原稿は、内容を電話で聞き取り、そのまま鉄筆で書く。懐かしい時代です。高校生のころまでガリ版を使っていたのを思い出します。」
3枚重ねて作っていたとか、コテを当てて原紙をくっつけていたとか、使っていた人でないとわからない知恵で興味深い。
ガリ版は、現代でもアート作品の制作で使われている。また、ガリ版の使い方のYouTubeや、体験できるところがあるなど意外とまだ情報が残っている。とはいえ、ガリ版を必要な事務用品として使っていた人が減っていることは確かで、次第に「謎の道具」になっていくであろう。
自分としては、原紙とやすり、鉄筆で、ガリ版印刷もどきを楽しむことができると今回わかり、ガリ版本体を使うのは、ハードルが高いが、できる範囲で楽しんでいくのもいいかもしれないと思った。
※1昭和謄写堂:現在の株式会社ショーワ。企業ホームページ内にガリ版についての情報サイトがある。
Web謄写印刷館:http://www.showa-corp.jp/toshakan/
※2 えんぴつ1万本超えちゃいまし展:現在予約制。当面の間、多人数での来展はご遠慮いただいてます。
住所 大阪府大阪市北区中津1-17-23 梅田サービスビル3F
電話 06-6371-5410
Twitter https://mobile.twitter.com/jackinumeda
*地図と五線譜のガリ版原紙。ガリ版の原紙もいろいろな種類がある。
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