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【インタビュー】「パーカー」創業者の曽孫が世界初の「JOTTER Factory -Final assembly line-」に感激!

千葉 勇

20190701parkaer3.jpg取材場所 : 銀座 伊東屋 HandShake Lounge



イギリスの高級筆記具ブランド「パーカー」の初代ボールペン「JOTTER(ジョッター)」。1954年の発売から65年で累計販売本数は約10億本にのぼり、世界中で今なお愛され続けている。その「JOTTER」と銀座 伊東屋がコラボレーションした世界初のサービス「JOTTER Factory -Final assembly line-」(以下「JOTTER Factory」)が、2019年6月21日にG.Itoya3階で始まった。
新サービスのオープニングイベントに合わせて来日した、「パーカー」創業者の曽孫であるジェフリー・パーカー氏にインタビューし、「JOTTER」にまつわるエピソードや「JOTTER Factory」の感想などを聞いた。


20190701parkaer1.jpg「JOTTER Factory」組み合わせシュミレーター

「JOTTER」が発売されたときは6歳だった

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「パーカー」のコンサルタントとしてどのような活動をされていますか。


私は度々こういう風にジョークを言うんです。あなたの仕事は何ですか、パーカーブランドヒストリアンとは何ですか、と聞かれたら、「I am an official old guy.(パーカー公式のおじいさん)」ですよと言うんです(笑)。
しかしながら、実はたくさんの仕事があります。パーカーブランドの伝統を正しく伝えることがその一つです。
たとえば「パーカー」の創業者であるジョージ・パーカーがペンを作るうえで大切にしたことを紹介しましょう。それは2つあり、1つは製品が高品質であること、2つめは卓越したクラフトマンシップです。いい製品を作るためにはいい素材が必要で、それを「パーカー」のクラフトマンたちが完成させるわけです。そのためにたくさんの人が関わっていることを私は知っています。
「JOTTER」が初めて発売された1954年、私は6歳でした。私の父ダンが開発に関わったのですが、そのとき私は間近でその様子を見ていたので、「JOTTER」がどのように生まれたのか、当時のことを伝えることができます。

「パーカー」の技術力が認められNASAのジャイロスコープの開発に協力

「JOTTER」開発時のエピソードを何か教えてください。

1945年から50年代初頭のペンビジネスと言えば、ボールペンがたいへん流行しており、それに伴って、各メーカーはボールペンを次々と発売していきました。これは「パーカー」以外の話です。当時、他社からボールペンは発売されていたものの、品質はまだ良くなく、滑らかに書けないものやすぐに壊れてしまうものもあり、しかも価格が高かったんです。
「パーカー」が当時、他社に先がけてボールペンを発売しなかったのには理由があります。1953年の時点で「パーカー」はボールペンを作ることはできましたが、「パーカー」の求める品質ではありませんでした。納得いくものができず、無理をして発売することはしませんでした。いろいろ実験はしていましたが、まだ素材や技術に満足できなかったため、発売しなかったわけです。
また、当時のリフィールはインク漏れてしまうことがよくありました。なぜならリフィールのほとんどがプラスチックでできていたからです。
そこで「パーカー」は、リフィールにステンレススチールを採用。ステンレススチールを1つの塊から打ち出す技術を使用することで、つなぎ目のないリフィールを完成することに成功しました。これによって、インク漏れを解消するとともに、インク容量を増やすことで、他社の約5倍もの距離を書けるようにしました。
ボールペンのペン先にはボールが付いています。ボールの重量や回転バランスは書き心地に直結する極めて重要な要素で、その点でも「パーカー」は高い技術を持っていました。その技術が、NASAのジャイロスコープの開発に貢献したんです。ロケットを打ち上げるとき、ロケットのバランスを保つためにジャイロスコープという装置(物体の角度や角速度あるいは角加速度を検出する装置)が必要ですが、その開発に「パーカー」は協力しました。ボールの重量や回転バランスを調整する技術がジャイロスコープに活用されたのです。
このように「JOTTER」には新しい技術が投入され、素材にもこだわったことで、高品質のボールペンとして市場にも認知されました。

パーカータイプのリフィールは世界共通

「JOTTER」発売時の反響や当時の様子について。

「JOTTER」は発売後、すぐに人気商品になりました。当時発売した金額は2.95ドル(約1,000円/当時1ドル360円)。2.95ドルで発売した当時、あまり良くない品質のボールペンが市場では20ドルで販売されていたんです。なので、「JOTTER」はよく売れました。初年度の販売本数は350万本で、これまでの65年間では約10億本を販売しています。
ただし、販売本数だけで評価するのは間違いです。「JOTTER」は1年も経たず壊れてしまう安価なボールペンとは違い、丈夫なつくりであるため、壊れることなく長い間使い続けられる商品であるからです。
1953年に「パーカー」は新しい工場をフランスに建設しました。わたしはそこで初めて「JOTTER」が製造されているところを見ました。工場の機械も新しく開発しましたが、その機械は今もフランスにあって「JOTTER」を製造しています。機械も長持ちしていますね。
また、初代「JOTTER」からリフィールの形は変わっていません。なので、昔のリフィールであっても今の「JOTTER」に入れて使うことができるのが「JOTTER」の特長となっています。もちろん、リフィールのグレードアップは行いました。ボールの素材やインクの配合などの改良を8年ごとに行い、24年にわたって改良を続けました。そこでもう改良の余地がなくなり、他社も「パーカー」のリフィールの技術に追いついたため、他社への使用を許可しました。
リフィールの中にはパーカータイプと呼ぶものがありますが、これは「パーカー」が最初に開発したリフィールであるためで、世界共通の名称となっています。

「JOTTER」の人気の理由は“信頼”にあり

「JOTTER」が長年にわたって人気の理由は。

たくさん理由はありますが、一言で言うなら“信頼”でしょう。“信頼”には、ブランド名をすぐに認識できる世界的なブランドであるとか、書き心地が良くインクが長持ちするなど、多くの要素が含まれます。
英語で“日々持ち歩く携帯品”の意味で、EDC(Everyday Carry)という言葉があります。小さいナイフやキーホルダーなど外出時に携帯する小さめの荷物のことで、その中の一つに「JOTTER」が当てはまります。持ち歩いて常に役に立つ道具として、インクが掠れることなくいつでも快適に使用できる、ということが当てはまる理由です。

「JOTTER」を見るたびに父を思い出す

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「JOTTER」のお気に入りポイントはありますか。


一つを選ぶことは難しいですね。なぜならそれは、自分の子どもの中でどの子が一番好きですかという質問と同じだからです。
「JOTTER」とは、私にとって非常に個人的なものなんです。なぜなら私の父が開発したもので、見るたびに父を思い出すからです。
多くの方に人気があるポイントは、『カチッ』というノック音かもしれません。開発のときにノック音には随分こだわりました。イメージしたのは、ドアを閉めたときにきちっと閉まったときの音なんですよ。

「JOTTER Factory」で選んだ1本に込められたストーリー

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世界初のサービスである「JOTTER Factory」を見た感想をお願いします。


先ほど初めて見たばかりですが、今までなんでこのようなサービスがなかったのかという疑問が湧きました。本来は私たちが先に気づくべきでしたが、ご提案いただいた伊東屋さんには感謝したいと思います。
「パーカー」はこれまで、とてもパーソナルなペンを作ってきました。「JOTTER Factory」は多くの選択肢が用意され、その中から自分に合った組み合わせを選ぶことができるサービスです。つまり、よりパーソナルなペンを作ることができる素晴らしいアイディアですね。この「JOTTER Factory」を通して、より多くの人に「JOTTER」を知っていただきたいと思います。
私は先ほどオレンジとシルバーゴールドクリップの組み合わせで“マイ・ジョッター”を作りました。この色を選んだ理由は簡単です。バレルはオレンジ色ですが、これは私の曽祖父である創業者のジョージが1921年に発売した「デュオフォールド」の色。キャップはシルバーゴールドクリップで、祖父のケネスが発売した「パーカー 75」の色。そして「JOTTER」を開発したのは父ダンです。この1本で3世代のヒストリーが語れるわけで、見るたびにすべてを思い出させてくれるペンになりました。


20190701parkaer7.jpg左から「パーカー 75」、「デュオフォールド」、そして“マイ・ジョッター”

プロフィール

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1948年生まれのジェフリー氏はこれまで70年以上、「パーカー」の成長を見届けてきた。現在は、パーカーブランドの歴史を詳しく知る人物として「パーカー」のコンサルタントを務めている。
ウィスコンシン州及びフロリダ州で育ったジェフリー氏は、学生時代から専門性の高い製造から営業、データ処理まで、「パーカー」の様々な事業に携わってきました。ミルトン・カレッジでビジネスの学位を取得した後は、一家がウィスコンシン州ジェーンズビルで経営するオムニフライト・ヘリコプター社に勤め、同社初のITシステムの設計・導入を行った。
ジェフリー氏はサウスカロライナ州チャールストンに住んでいた10年間、パーカー一族同様に起業家として次々と小売り関連の会社を設立している。この15年間はパーカー一族の歴史の記録・保存プロジェクトにあたり、4代にまたがるパーカー家の家族写真や記念品を一堂にまとめている。
「パーカー」のペンに関する素晴らしい功績を共有すべく、現在までにジェフリー氏は数多くの書籍を執筆。ウィスコンシン州のテレビ番組「ホームタウン物語」でも紹介され、コレクターのためのペン展示会で講演者としても毎回活躍している。
ジェフリー氏は、「「パーカー」のペンは、単なる道具ではなく、人生という「旅」を続ける私にとって、「親友」のような存在です。」と語る。
今回5度目の来日となったジェフリー氏は、創業者のジョージ氏同様、現地の人々に会い、話をし、そしていろいろなことを学び、体験することを楽しみにしていた。

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