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【連載】文房具百年 #65「王様クレイヨンの昔の事」

たいみち

調べものの夏から冬

 連載の更新がかなり久しぶりになってしまったが、実はコレクター仲間からの頼まれごとで、調べものに勤しんでいた。大量の古い文房具について時代などを調べるという作業で、これがなかなか大変なのと、つい関係ないところに見入ってしまったり、新たな発見があって不必要に深く調べてしまったりで、時間がかかってしまった。
 主な情報源は、各メーカーのホームページ、自分の持っているカタログ等紙資料、特許データベースに国会図書館デジタルコレクションだ。特に国会図書館デジタルコレクションが大活躍で、メーカー名と商品名で検索し、過去の広告等に掲載されたイラストや写真と、調査対象の文房具の容器やラベル、金具のデザインの照合や、同じキャッチコピーを見つけて年代の目星をつけるなどで活用した。
 そんな中、「王様クレイヨン」について調べようと企業ホームページ(https://king-crayon.com/company/)を見たところ、詳しい情報がなく「創業 大正から昭和初期(正確には不明)」の1行のみだった。古文房具を集め始めた頃から大好きな「王様クレイヨン」について創業時の情報がないことを淋しく思い、勝手ながら今回の調査で分かったことをまとめておくことにした。
 いつか、私のように王様クレイヨンについて調べる人がいたときに、参考になればうれしい。

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国産クレヨン誕生の頃

 まず、王様クレイヨンとは何か。絵を描くクレヨンである。専門家が使う画材というより、子どもの学用品として使われ、特徴的な赤地にトランプのキングをあしらったデザインは、創業当時から大きく変わらず長年愛されてきた。レトロで目を引くパッケージは、古いもの好きにとっては一度見ると忘れられない印象的なデザインだ。
 なお、現在は自社ブランドのクレヨンの製造は行っておらず、OEMによるクレヨン・建材用クレヨンの製造を行っている

 その王様クレイヨンはいつからあったのか。創業は「国産クレヨン登場の時期」とされる大正10年になる。なお、国産クレヨンの始まりは、私個人はもっと前からあったと思っているが、ここでその話を混ぜるとややこしいので、触れないでおく。※1
 大正初期頃にアメリカのクレヨンが輸入され、その後1919年(大正8年)に山本鼎が自由画教育運動※2を提唱し学校等でクレヨンの使用が増える。そして大正10年に複数の国産クレヨンメーカーが創業したことが、日本のクレヨンの歴史の始まりと言われている。王様クレイヨンは、「大正10年に創業した複数のクレヨンメーカー」の一つで、他にはサクラクレパスが同年に「日本クレィヨン商会」として設立している。
 王様クレイヨンの創業者は甲斐惟一、明治16年生まれ、熊本県出身。甲斐惟一がクレヨン製造を始めたきっかけは、自由画運動によってクレヨン販売が急激に伸びたことによるようだ。大正8年~9年頃、東京の成城学園では、自由画教育が実践されており、売店でクレヨンが飛ぶように売れていた。そしてその売店の経営者であった甲斐惟一は、クレヨンの売れ行きに着目したという説がある。※3(「カリキュラム - 第17巻」)
 ただし、甲斐惟一の経歴を見ると、大正7年に久原鉱業会社を退職した後、クレヨン会社を設立する大正10年までのことがはっきりしない。当時複数の企業の監査役や役員をやっていたと思われる記録があり、同時に学校の売店の経営もしていたかは疑問が残る。

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*大正初期頃に輸入されたアメリカ ビニー&スミスの「クレヨラ」。

王様クレイヨンの創業

 王様クレイヨンのメーカーの現在の社名は「株式会社王様クレイヨン商会」だが、創業時の社名は「合名会社東京クレイヨン商会」である。設立は大正10年5月(一部資料では8月となっている。)、所在地は東京区小石川区林町、商品名も当初は「王様印クレイヨン」であった。とはいえ、資料等の表記は「王様印」だがパッケージは最初から王様クレイヨンであったようだ。正式名称は「王様印クレイヨン」といったところであろう。
 また、製造元とは別に「東京工業株式会社クレイヨン部」が販売元となっている。東京工業も東京クレイヨン商会と同じく甲斐惟一による会社かと推測したが、違うようで主要卸先と推測する。

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*左:王様クレイヨンの工場、右:王様クレイヨン発売元、東京工業の出荷の光景。馬が運んでいるところに時代を感じる。(「王様印クレイヨンを推奨す」大正12年、東京工業株式会社発行)



 大正12年2月発行の「王様印クレイヨンを推奨す」という冊子によると、当時のクレヨン人気は相当なものだったようで、東京クレイヨン商会設立の翌年大正11年には工場の拡張に着手し、大正12年1月に新しい設備の工場が完成している。また、「非常なるご愛顧を蒙り全国軌道専門諸大家千五百七十餘氏の御推薦の下に、各府県師範学校中学校高等女学校実業学校小学校1万7千五百三十餘校の御選定の栄を得」とある。

 つまり1,570名から推薦を受けて、17,000の学校で使われているということだ。この頃の学用品は、有名な教授や専門家の推薦を受けることがステータスであり、色々なもので「●●教授御推薦」のようなうたい文句が使われていたが、普通は1名ないし2名程度の推薦だ。それが1,570名以上からの推薦をうたっているあたり、とにかく誰でもいいから推薦者を集めろという方向での戦いになっていた気がする。余計なお世話だが、誰も知らなかったり、実は全く関係ない人も推薦人に含まれていたのかもしれないと思うと、ちょっとおもしろい。

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*王様印クレイヨン発売元の東京工業が発行した冊子。商品名にピーオー万年筆等筆記具があるが、王様クレイヨンの製品ではなさそうだ。

創業当時の商品

 当時の大正12年の冊子に当時の商品も掲載されていた。それによると、箱のデザインは基本的に変わらず、キングのイラストが少しいかめしい雰囲気の絵であるくらいの違いだ。色数は6色から24色までの5パターン、クレヨンホルダーがついているものやクレヨンペーパーもある。

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 自分のコレクションにも王様クレイヨンはあるが、よく見ていなかったので引っ張りだして再確認してみたところ、なんと東京クレイヨン時代の製品が一つ入っていた。

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*東京クレイヨン時代の王様クレヨン。



 箱の裏面の上部に「中央教育品審査会有効賞受領」とあるのは、「学用品の審査の結果優良であることを認められた」ということだ。賞状の写真があり、大正12年に受領している。

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 中のクレヨンに巻いてある紙には、緻密なキングのイラストが印刷されている。こういうところが昔の製品はとても丁寧である。また、表情がいかめしいのも、当時の雰囲気を醸し出している。
 王様クレイヨンは、品質面にも力を入れており、技師長に工学博士 田村實氏を迎えて硬度・濃淡・重色・色彩褪色・衛生について研究を重ねていた。大正11年には無褪色研究に成果を収め、品質面で条件を満たしたとある。この東京クレイヨン時代のクレヨンは、100年前のものだが、確かに今でも使えそうに見える。


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 「合名会社東京クレイヨン商会」が、「合名会社王様商会」に変わるのは大正13年となる。具体的な月は不明だが、当時の雑誌の広告にて、2月と3月で表記が変わっているのを発見した。また、所在地も「北豊島郡西巣鴨堀之内」へ変わっているので、おそらく社名変更と同じころに移転したのであろう。

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*「金の船・金の星」ほるぷ出版 1924年(大正13年)左:2月、右:3月に掲載の広告

昭和12年頃の商品

 私が調べた王様クレイヨンの昔の話は以上である。このあとは、私が所有している王様クレイヨンの製品を紹介していこう。昭和12年の文房具店のカタログに、掲載があり、現物もいくつかあったので、まずはそれから。

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*「タイム文房具カタログ」鈴木利七商店 1937年(昭和12年)発行。この項目のカタログ画像はすべて同じカタログより掲載。



 画像上の王様クレイヨンに近い時代と思われるのが、下の2つ。左側は、「立てられるケース」のイラストが似ているのでこちらの方が時期は近そうだ。ただし現物は公定価格のマークがついているので、昭和15年以降のものとなる。

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 「キング コドモ クレイヨン」は、小さな子どもが使っても折れにくいように、太いクレヨンだ。箱のイラストがとてもかわいらしく、色合いも優しい。

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 マンセルは、クレヨンとパステルの中間の質感の製品。軸の形が5角形という点も特徴的だ。

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*クレヨン以外に絵具も古くからある王様商会の定番商品。

戦後の王様クレイヨンと類似品

 続いて、戦後の王様クレイヨンを紹介しよう。戦後になるとパッケージに描かれたキングの顔が優しくなり、基本のデザインは同じでも、どことなくPOPな印象になる。また説明なども平易な表記に変わり、クレヨンに巻かれた紙のデザインも簡素なものになっている。

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*年代は推定昭和30年代頃。



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 小さくなったクレヨンを格納する「ピースボックス」付きと工夫されている。これくらいの時期のものは今でも普通に使用できる。(実は、右のクレヨンは、同じものを複数所有していると勘違いして、最近まで実際に使って絵を描いていた。確認したところ、これのみのようなのであわてて保存用に戻した。)

 最後に類似品を紹介しよう。いつの時代も人気商品は、その「人気商品」に見間違えそうなデザインの類似品が出回る。クレヨンの類似品というと、サクラクレパスの類似品が数多く出ているが、王様クレイヨンに似せた商品もある。ちなみに大正12年の冊子には創業3年目にして早くも「王様印クレイヨンの偽装物に関して」という注意が記載されている。

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*シグマクレヨンと王様クレィヨン。デザインが似ている。



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*王様クレイヨンとお子様クレイヨン。王様とお子様、王冠と兜と語感やアイテムも似せてきているのがおもしろい。

まとめ

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 ■王様クレイヨンの創業時の沿革
創業者 甲斐惟一(明治18年生まれ、熊本県出身)

大正10年5月 東京市小石川区林町に「東京クレイヨン商会」設立
大正11年9月 平和記念東京博覧会にて金牌を受賞
大正11年12月 無褪色研究において成功をおさめ、品質に置いて、温度・硬度・濃淡・重色・色彩褪色・衛生の6項目を満たしたクレヨンを実現
大正12年1月 新設備の工場操業開始
大正12年2月 中央教育品協会より「有効証」を受領。同年、学校からの選定が17,000校を超える
大正13年3月 社名を合名会社王様クレイヨンに変更。同年北豊島郡西巣鴨町堀の内へ移転

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 まとめると、コンパクトになってしまったのとたった4年間のことだが、これでも全くわからないよりは随分いいのではないかと思う。

 この数か月間、色々調べた中で意外なところから判明する情報があったり、今まで見過ごしていたものに大きな意味があることを知ったり、勉強になった。残念ながら全体的に断片的な情報が多く、この連載で紹介するに至らないものばかりだが、どこかで機会があれば紹介したいと思う。

 そして2024年は今までで一番更新頻度が少な買ったことが大きな反省点だ。なんとか一仕事終えたので、またコンスタントに更新できるよう、頑張ろうと思う。
 2025年も引き続きよろしくお願い申し上げる。


※1私説「日本におけるクレヨンの歴史」:文房具百年#20「日本のクレヨンとその歴史」2に記載
https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/010760/#anchorTitle6
※2自由画教育運動:児童の個性や創造性を尊重し、自由に描かせることを目的とした児童教育。


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プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
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