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【連載】文房具百年 #21「クレヨンと色鉛筆の境界線 ~クレヨンの話の補足~」

たいみち

2020年を迎えて

この記事が公開される頃はもう1月も後半で「1月、終わっちゃうね」なんて会話が聞こえそうなタイミングだが、何はともあれ2019年もこの連載を続けることができ、2020年になった今も当たり前のように原稿を書いていることに感謝している。このテーマで連載することに決めたときは、少なくとも1年は続けよう、それ以降はテーマの変更も含めて継続するかを考えようと思っていた。それが今年の3月で連載3年目に入る。今のところ、百年前の文房具についてもうしばらく続けられそうなので、2020年も引き続きお付き合い願いたい。

日本のクレヨンとその歴史

前回、前々回で「日本のクレヨンとその歴史」について紹介した。日本にクレヨンが輸入されて来た時期や、国産が始まった時期についての内容だ。その中で触れておきたいことがあったのだが、長くなりすぎてしまったので少しだけ今回に持ち越した。ちょっとしたことなので、今書いておかないと書く機会はないだろう。今回だけで意味が通じるように記載するつもりだが、参考までに「日本のクレヨンとその歴史」のまとめ部分だけ参照いただけると、わかりやすいかもしれない。 → https://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/010760/

再び色チョークについて

 日本でクレヨンの国産が始まるのは大正10年頃が通説だが、それより前に「色チョーク」「色蝋筆」という名前ですでに国産クレヨンが登場していたことは、前回記事で紹介した。だがその「色チョーク」は実は複数の種類があった。それに気づいたのは、自分の所有している「鯛印六色チョーク」というものが、商品名からすると「色チョーク」にあたるがクレヨンには見えないことからだ。この鯛印の色チョークは、硬くて細長くいわゆる「クレヨン」と比べると油分が少ない感触だ。

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*鯛印六色チョーク。大正頃。




 更に箱の裏の説明には「従来の色チョークと異なり、舶来鉛筆の芯と同製にして」「従来の色チョークと異なり温熱の候にも外部の溶解せざるを以って手に粘着せざること」とある。つまりこの鯛印の色チョークは色鉛筆の芯なのだ。
 もうひとつわかることは、色鉛筆の芯ではない色チョーク、暑い時期には溶けて手にくっつくような色チョークも存在したということだ。それは油分が多く含まれる蝋製のチョーク、いわゆるクレヨンを指しているのであろう。そして「従来の」とあるからには、この鯛印色チョークより前からあったことになる。この鯛印色チョークは大正期のものと思われるので、大正10年に国産クレヨンが作られるようになる前から、色チョークという名前で国産クレヨンが存在したことの裏付けになる。

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*鯛印六色チョークの箱の裏面。



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*鯛印チョーク(左上)が掲載されている澤井商店のカタログのチョークのページ。大正10年頃。下段中央のチョークはライオン事務器のクレヨンと形やパッケージが酷似しており、こちらのチョークは蝋チョーク = クレヨンに当たると思われる。



 更に、この鯛印色チョークと同様のものと思われる「フラワーペンシル」という商品名が「ペンシル」のものもある。
 こちらも裏の説明を読むと「フラワーペンシルは色鉛筆芯の優美なるものにして、在来の蝋製または石鹸製チョークとは全然別物にして、児童用絵画用として真に適当品たることは教育品研究会の鑑定書に微して顕かなり」とあり、色鉛筆の芯であること、このほかに蝋製のチョークが存在したことがわかる。

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*フラワーペンシル。大正頃。三角形をしており、かなり硬さがある。メーカーの花廼家(はなのや)絵具は社名の通り絵具メーカー。またこれも澤井商店のカタログのチョークのページに掲載されている。


20200120taimichi5.jpg*フラワーペンシルの箱の裏側の説明。



 ちなみにここで言われている「従来の暑い時期には溶けるチョーク」「蝋製のチョーク」とは、前回紹介しているライオン事務器の色チョークと同様のものを指しているのであろう。


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*福井商店の色チョーク(箱にはクレヨンと書かれているが、カタログではチョークという名称)

 
 


 そしてややこしい話だが、実際はクレヨンであるこれらの色チョークの中にも、カラーペンシルという名前のものがある。前回紹介したが、下の画像の「Colour Pencil」がそれにあたる。
 鯛印チョークとフラワーペンシルは、どちらもクレヨンより「色鉛筆の芯」に類するものであるといっているが、名前は「チョーク」と「ペンシル」で異なっており、色チョークにはクレヨンと色鉛筆芯にあたるものが混在し、一方色鉛筆(ペンシル)もクレヨンと色鉛筆芯が混在している状況だ。
 さらに混乱を招く話だが、ライオン事務器が「福井商店のクレヨンはチョークという名前で大正元年より発売されており」と紹介しているチョークも、カタログの画像を見る限り2種類あり、一つは鯛印チョークのように色鉛筆の芯に違いものと思われる。
 要するに明治時代に日本にクレヨンが入って来てから大正時代頃までは、クレヨンと色鉛筆の区別が曖昧になっているところがあるのだ。

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*右側は「カラーペンシル」という商品名だが、中身は左側のライオンマークのものと同じ蝋製のチョークで、クレヨンにあたる。



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*ライオン事務器(当時は福井商店)の大正元年のカタログに掲載されている「ライオン印色チョーク」(手前)のイラスト。長さや先端のとがり方からすると、蝋製チョークではなく色鉛筆の芯(またはそれに近いもの)と思われる。

クレヨンと色鉛筆

 クレヨンと色鉛筆の違いは何だろうか。色鉛筆について説明されているものを見ると現在のJIS規格では「顔料・染料、油脂・ろう、体質剤、結合剤などからなる固体筆記材」とある。1 一方クレヨンのJIS規格では「顔料,油脂,蝋などを混合して練り固めた一般に使用するクレヨン」という説明がある。これを見ると大体同じ素材からできているので、配合と作り方でクレヨンか色鉛筆かが分かれるのであろう。大正3年発行の「美術辞典」2でも色鉛筆の説明は「粘土と鉱物質の染料と蝋と油との混合から成り立っている。(中略)蝋の分量の比較的少なくクレヨンに近いもの」とある。
 クレヨンと色鉛筆は全く異なるものと思い込んでいたが、実は意外と近しい存在だったようだ。

20200120taimichi9.jpg*美術辞典。大正3年、日本美術学院。色鉛筆の項には「色鉛筆とクレヨンは近い」と説明されているが、クレヨンの項では、チョークや石版印刷で使用するクレヨンの説明が書かれているなど、定義に曖昧さが見える。



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*「クレシン(呉心)」。時代不明。おそらくクレヨンの「クレ」と色鉛筆芯の「心(昔は芯を心とも書いた)」を掛け合わせた名称と思われる。硬く乾いており、色鉛筆の芯とチョークを合わせたような感触。「M.Y.P」とあるが、真崎大和鉛筆(現在の三菱鉛筆)の商品かは不明。クレヨン・チョーク・色鉛筆の仲間に属するものなので紹介。

軟質クレヨン、硬質クレヨン

 色鉛筆とクレヨンの境界線は、調べるにつれてわからなくなってきたが、加えてクレヨン・色鉛筆ともに「軟質」「硬質」の区分もあるようだ。
 クレヨンにおける軟質と硬質は説明資料によって異なる部分もあるが、どうやら、軟質はいわゆるクレヨンで、硬質は色鉛筆の芯に類するもののようだ。また色鉛筆の軟質はダーマトグラフ(※)を指しているらしい。硬質クレヨンと硬質色鉛筆がどちらも色鉛筆の芯を指すのだとしたら、軟質クレヨンと軟質色鉛筆のダーマトグラフはどう違う?
 ・・・ということを考えていくとクレヨンと色鉛筆を適切に区別するのは、かなり難易度が高いことに気づいたので、その整理は断念した。

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*クレヨン筆(ひつ)。両端の色が違う2色のダーマトグラフのような筆記具。昭和10年頃のものだが、これもクレヨンと色鉛筆をかけあわせた名称。右は箱の裏面。また、メーカーは放光堂という絵具メーカー。



 軟質クレヨンと硬質クレヨンについて余談がある。大正12年発行の「クレオンに就いて」という冊子があるのだが、その内容は軟質のクレヨンが広く使われていることを嘆いており、軟質をやめて硬質クレヨンを使うべき、という主旨のことが書かれている。
 あれれ?クレヨンを推奨する冊子ではないの?と思ってよく見ると、発行元は羽車印クレオン工場というところで、大元の会社は市川鉛筆という老舗の鉛筆メーカーだ。察するに、アメリカから来たクレヨン(クレヨラ)のヒットと自由画運動の影響で国産クレヨンが急増した流れに乗ろうと、クレヨンを作り出したもののうまくいかず、得意分野の色鉛筆の芯の復権を願ってこの小冊子をつくったようだ。「色鉛筆の売り上げが激減し、クレヨン全盛の時代となってしまった」と、恨みがましいような語調で始まり、硬質クレヨンと軟質クレヨン(蝋製クレヨン)との比較をしている項では、硬質の特徴は利点、軟質の特徴は欠点を挙げる書き方だ。それに、改めて思い返すと、古いクレヨンを目にする機会は多数あるが、確かに羽車印クレオンはほとんど目にしない。
 日本におけるクレヨンの始まりは明治時代にさかのぼるが、クレヨンの歴史における大きな流れは大正時代のクレヨラの輸入と自由画運動の影響からきていることは確かである。その流れの中でクレヨン製造を始めて勢いづくメーカーもあれば、うまくいかなかったところもあるのは当然のことだが、そんな裏事情のようなものが感じられる資料は当時の人の表情が見えるようで興味深い。

20200120taimichi12.jpg*「クレオンに就いて」大正12年。羽車印クレオン工場。「羽車」は当時の大手鉛筆メーカー市川鉛筆の商標。



20200120taimichi13.jpg*「クレオンに就いて」より抜粋。硬質クレヨンという名の色鉛筆芯のアピールが続く。



20200120taimichi14.jpg*羽車印クレオン。おそらく昭和初期頃。

モノの名前

 少しだけ補足するつもりが、なんだやっぱり長くなってしまったではないか。もう一言書いて終わりにしよう。
 クレヨンの歴史について調べていると、色鉛筆とクレヨンの区別の仕方とともに、モノの名前について気になってしまうのだ。色チョークという名を持つクレヨンと色鉛筆芯。以前はモノの名前は変わらないものと思っていた。だが、名前は背景や時代によって変わっていくものなのだ。
 では、名前の役割とは何だろう。名前がついていることで他の名前のものと区別することができる。だがこのクレヨンと色鉛筆芯のように名前自体が入り混じってしまっていると、名前ではモノを区別できない状況が生まれている。
 この場合、名前が果たしている役割は「これはクレヨンだよ」「これは色鉛筆だよ」という使う側への刷り込みだ。色鉛筆に近いものでも名前が「クレヨン」であれば、使う側はクレヨンとして使用方法を考え、他のクレヨンと比較する。この商品は色鉛筆よりクレヨンとして売ったほうが有利ではないか、そんな意図や事情でモノの名前が決められた例だろう。
 「名は体を表す」というが、必ずしもそうではないのだ。名前は必要で便利なものだが、名前を信じすぎてはいけないこともある。クレヨンの歴史を調べながら、そんなことにも気づいた次第である。

20200120taimichi15.jpg*校友チョーク。メーカー、時代不明、おそらく昭和初期。三角形をしており硬質で前出のフラワーチョークに近い。これは水に溶くと絵具になると説明に書かれており、他のチョーク、色鉛筆芯とはまた少し異なっている。



 以上、「日本のクレヨンとその歴史」の補足をさせていただいた。クレヨンの話はここまで考えて、話して、一旦気が済んだ。
 なお、色鉛筆について何も知らないことに気づいてしまったので、こちらはどこかで回を設けるかもしれない。とはいえ、来月は筆記具や画材とは違う話をするつもりだ。クレヨンのごちゃごちゃした話に少々閉口してしまった方にはどうぞご安心いただきたい。

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※1 鉛筆のJIS:http://www.pencil.or.jp/pencils_jis/jis_1.html
※2 美術辞典:石井柏亭他、日本美術学院発行 大正3年

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
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