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【連載】文房具百年 #9「西洋の墨汁、東洋のインク」後編

【前回のおさらい】
 一ヶ月お休みをしてしまったので、前回のおさらいから。前回はタイトルの通り「西洋の墨汁」についての話だった。西洋の墨汁とは、インクのことだ。コピーインクの使い方や江戸時代のインク製造についてなど、調べたてホヤホヤの情報を紹介しているので、読んでいただいた方もまだの方もちょっと覗いてみてほしい。
http://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/008313/

東洋のインクとは

 早速だが、東洋のインクとは何か。それは墨のことだ。厳密には墨は「東洋のインク」と呼ばれているわけではないが、墨の英訳は「Ink」なのだからあながち間違いでもない。それでは墨の話を始めよう、と行きたいところだが、今回話したいのは西洋における墨についてだ。150年以上前に「墨汁」という名前ですでに日本には西洋のインクがあった。同じように100年以上前、欧米に「インク」として墨があったのだ。そのあたりの墨について紹介しよう。
 私がそれを知ったのは文房具のカタログからだった。

20181220taimichi1.jpg*1913年のフランスの画材カタログに掲載されている墨。


20181220taimichi2.jpg*墨が掲載されているフランスの画材カタログ。


20181220taimichi3.jpg*1913年PELIKANのカタログに掲載されている墨。


20181220taimichi4.jpg*Pelikan(ドイツ) 1913年カタログ表紙。



 文房具のカタログを見ていて楽しいのは、自分の知らない素敵なもの、変わったものが載っているところなので、そういう意味では「墨」を見ても普通は興味が沸かない。だが、100年も前のフランスやドイツのカタログに載っているとなれば話は別だ。古い文房具を集め始めた当時、昔の文房具は欧米からアジアへ輸出されるばかりで逆はないと思っており、このカタログに墨が掲載されているのを見つけて少なからず驚いた。墨の画像が逆さまになっているのも愉快である。誰も墨に書かれている文字を読めなかったのだろうなぁと当時の様子を想像してしまう。余談だが、この逆さまの墨の画像は同じ版がそのまま転用されている様子で、何度か同じ「逆さま」を見たことがある。

20181220taimichi5.jpg*カタログで、墨の上下を間違えたまま掲載されている。


 カタログに載っている墨についてもう一つ気になるのは「硯」が見当たらないことだ。墨の掲載されている付近に硯の写真やイラストはなく、墨ばかりいくつも載っているのだ。エキゾチックな文字や柄が彫り込まれている墨に比べて、硯は、今で言うインスタ映えならぬカタログ映えしないと思われたのだろうか。

液墨となって日本へ渡る

 ヨーロッパではカタログに掲載されているような固形の擦る墨だけでなく、液体の墨も作られていた。固形の墨は中国から輸入されたものだが、液体の墨は「唐墨」を原料として、フランスやドイツで加工製造されていたようだ。複数社から販売されているが、どれも瓶に貼られたラベルにはドラゴンや唐草など中国をイメージするイラストがあしらわれている。商品名は「Encre de Chine」(フランス語、「中国からのインク」)、「chinesische tusche 」(ドイツ語、中国のインク)といった商品名だ。どのメーカーのラベルもよく似たイラストが使われているので、最初に作ったメーカーのデザインを後から作った会社が参考にしているのだろう。

20181220taimichi6.jpg*前出のフランスの画材カタログ(1913年)に掲載されている液墨。


20181220taimichi7.jpg*前出のPELIKANのカタログに掲載の液墨。


 その中国の液体の墨は良質の製図用液墨や画材として明治時代には日本に輸入されている。特に銀座にあった測量・製図用品の玉屋商店では、PELIKANの液墨を輸入開始する際に専用のリーフレットを作っていた。それを見ると「純良なる唐墨」を精錬して作っていること、烏口などを腐食させず、液墨自体も腐らないことなどの特徴が記載されている。販売の仕方も注文ごとにドイツに発注する方式を取っており、高価なものであったことが伺われる。
 中国の墨がヨーロッパへ渡り、それが加工されて日本に輸入されていたと言うのは、ずいぶん遠回りしていたものだ。

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*玉屋商店「新輸入製図用液墨」のリーフレットで、PELIKAN製の液墨が掲載されている。国会図書館デジタルコレクション、1902年(明治35年)。


20181220taimichi10.jpg20181220taimichi11.jpg*池田文房堂(現文房堂)1914年(大正3年)カタログ。フランス製の液墨が掲載されている。



20181220taimichi12.jpg*大日本絵画講習会販売部発売品目録 1910年(明治43年)。イギリス製の液墨が掲載されている。


20181220taimichi13.jpg20181220taimichi14.jpg20181220taimichi15.jpg*玉屋商店が輸入していたのと同じものと思われるPELIKANの液墨。蓋のつまみと首にかけてある紐(おそらく封緘だったと思われる)両方にPELIKANマークが入っている細かい作り。


20181220taimichi16.jpg20181220taimichi17.jpg20181220taimichi18.jpg*イギリス Wolf&Sonの中国インク。ラベルに「LIQUID-CHINESE INK」と書かれている。

インドインク※1(INDIA INK)

 東洋のインク=墨というテーマで資料を集めていると、「インドインク」と言うものが出てきた。どうやらこれも「墨」のことらしい。「東洋のインク」というタイトルで、中国の唐墨がヨーロッパに輸出されていた話を書くにあたって、このインドインキの登場はいささか邪魔である。なぜインドなのだ? 本当に墨なのか?
 この際なのでインドインクについても調べてみると、アメリカの文房具のカタログに多数掲載されていることがわかった。特にインドインクの老舗と思われる「ヒギンズ インク」はあちこちに掲載されており、どうやらインドインクはアメリカでは一般的に使われていたインクのようだ。

20181220taimichi19.jpg*インクメーカーCARTERのカタログ、1920年ころ。


20181220taimichi20.jpg*アメリカで代表的なインドインクと思われるHIGGINSのインク。アメリカ事務用品のカタログ、1911年。一番下に「STICKS」の記載があり、固形タイプであろう。さらに「Lion’s Head」などの記載を見ると、この「INDIA INK」は中国の墨の可能性があると思われる。



20181220taimichi21.jpg*色々なメーカーのインドインク。1930年頃のカタログから。右はイギリスのWionsor&Newtonsのもの。


 では、ものは本当に墨なのだろうか。1800年代のAmerican Stationerからインドインクについての記事を探して拾い読み(しっかり読もうとしたが語学力のなさと誤植らしい意味不明箇所頻発に負けて拾い読みとなった)したところによると、インドインクは「Lamp Black」から作られているそうだ。「Lamp Black」はランプの煤のことであり、炭素(カーボン)である。確かにインドインクのことを「カーボンインク」と呼んでいる資料もあった。こう書くと墨とインドインクは違うもののような印象を受けるかもしれないが、墨も実は煤からできているので、そういう意味では同じものと言えるだろう。
 また、インドインクの特徴としてカタログでは「Water Proof」、つまり水を弾くことが謳われているのと、カラーバリエーションが多い。前出のCARTERのカタログでは、黒の他に青やグリーン、紫など12色ものカラーバリエーションが掲載されている。そしてPELIKANやフランスのカタログと比べると、固形状のものがほぼ出てこないことと、「中国」につながる製品や表現も出てこないところが違う。
 墨も固まれば水では落とせないので、ウォータープルーフと言えるだろうが、American Stationerの記事をみているとインドインクの製造方法も含んだ説明がされているなど、アメリカで使われていたインドインクは、物体としては墨だが中国の墨など関係なく、アメリカ作られていたのではないかという気がしてきた。そこで何かもう少し手がかりはないかとHIGGINSのインク瓶を入手して、じっくりと眺めてみた。


20181220taimichi22.jpg*HIGGINS INDIA INK(1910~20年頃)


20181220taimichi23.jpg*ペン先を瓶に入れるのではなく、蓋についている管からペン先や烏口の先につけて使う。


20181220taimichi24.jpg*ラベルには原料が「Lamp Black」(煤)であることを示す画像が書かれている。


20181220taimichi25.jpg*ラベルに書かれているインドインクの説明


 まず、ラベルにランプと煤のイラストが描かれており、カーボンから作られたものであると謳っている。そしてHIGGINS INDIA INKについての説明も描かれていた。
「This ink is practically a solution of carbon, which it retains in permanent suspension, and is an original product superior to the imported India or China Inks. It is intensely black, smooth flowing and proof to decay.」
訳すとこうなる。
「このインクはほとんどが、永続的な懸濁液として保持されるカーボン溶液であり、インドまたは中国からの輸入インク製品より優れたオリジナル製品です。 それは漆黒で、滑らかに流れ、腐敗耐用です。」
直訳でぎこちないのだが、大事なのは後半で「インドや中国からの輸入品より優れたオリジナル製品」というところだ。察するに、もとは中国からの輸入もあったが、アメリカは早い時期に国内でこのインドインキを製造していたのだ。
 つまり、アメリカのインドインクは「墨」ではあるが、どうやら「東洋のインク」ではないようだ。なお、インドから輸入されていたのかは、詳細不明なので触れないでおく。合わせて、なぜ「インドインキ」というのかも諸説あって確証がないので触れないでおく。


20181220taimichi26.jpg*HIGGINSのウォータープルーフのオレンジ色のインク。


 ちなみに、HIGGINSのインクは、オレンジも一緒に購入したが、そちらには「INDIA INK」という表記はなかった。ウォータープルーフのインクをまとめてインドインクとしているケースと、黒だけの呼称の場合が有るようだ。

PELIKANの墨

 ヨーロッパのカタログに載っている中国の墨や、漢字や中国風の模様が書かれたインク瓶はとても興味深く魅力的であるが、私が是非ここで紹介したいものは他にある。それはPELIKANの墨だ。1925年のPELIKANのカタログに掲載されている墨は、ごく簡単なイラストで紹介されており、そこに掲載されていることにずっと気づかないくらい地味なものだ。

20181220taimichi27.jpg20181220taimichi28.jpg*PELIKANのカタログ、1928年


 だが現物を見たときにその迫力に感動した。こういう物があったということをたくさんの方に知って欲しいのと、どこかに残しておきたいと思った。であれば、せっかくこういう場所を与えてもらっているのだから、この連載で紹介すべきであろう。カタログの一番右の丸いタイプは見つけられていないが、真ん中と右側の墨を保有している。

20181220taimichi29.jpg*PELIKANの墨の箱


20181220taimichi30.jpg20181220taimichi31.jpg20181220taimichi32.jpg20181220taimichi33.jpg20181220taimichi34.jpg20181220taimichi35.jpg20181220taimichi36.jpg20181220taimichi37.jpg



 PELIKANの精巧なエンボスや青を使ったPELIKANマーク。墨を包むシーリングラベルも風格を感じる。
これは中国に依頼してつくらせたのだろうか。それともPELIKANがドイツで作ったものなのだろうか。どちらにしても、PELIKANがオリジナルの墨を作ろうとしたことが西洋と東洋の文化の交流とでも言おうか、東洋の良さを認められたようで嬉しいのだ。そしてこの貴重な文化遺産のような墨が、今日本にあって、紹介できることも嬉しく思う。

年末のご挨拶

インク瓶からのインクの話の続きで墨になってと三回に渡ったインクの話はこれでおしまい。そして早いもので今年も残り僅かだ、今年3月から始めたこの連載は、四苦八苦しながらも自分自身大きな経験となった。来年も続けていくので、どうぞ引き続きお付き合いいただけますように。

※1:インドインクは「INDIA INK」の表記で日本語だとインディアインキ、インドインキ等表記されている。ここではインドインクに統一した。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社

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