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【連載】文房具百年 #10「大正時代のホッチキス」前編

たいみち

私の定番展示ネタ

 イベントなどで古文房具の展示をする際の私のネタに「大正時代のホッチキス」がある。そのホッチキスはムカデのような形の針を使い、今のホッチキスとは全く違う形をしている。私はこのホッチキスの存在を知ってすっかりホッチキス好きになってしまい、本体と針と集めた。そして時々イベントなどでお客様が操作できる展示を行っている。
 ホッチキス自体は誰もが知っている身近な文房具だが、大正時代のものとなると形から知らない方も多く、触る機会もなかなかないのでお客様に好評だ。今回はその大正時代のホッチキスの話だ。
 なお、わかりやすく「大正時代のホッチキス」と言うことが多いが、正確にはそのムカデ針のホッチキスは大正時代だけではないし、大正時代にこの形のホッチキスしかなかったわけではない。そこでこの後は「大正時代のホッチキス」改め「ムカデ針ホッチキス」と呼ぶことにしよう。

ムカデ針ホッチキスの誕生

 まず、ムカデの形をした針とそれを止めるためのホッチキスとはどういうものか。ここは、日本でホッチキスの名前のもととなったホッチキス社のホッチキスを紹介しよう。日本ではホッチキスというが、英語ではStaplerで、Staple(留め具、U字型の先の尖った金属)を止める道具の意である。また、このムカデ型の針のホッチキスの時代は、英語ではPaper fastener(ペーパーファスナー)、日本語では紙綴り器と呼ばれることが多かった。

20190120taimichi1.jpg*HOTCHKISS No.1、アメリカ製


20190120taimichi2.jpg*HOTCHKISS社の針


 日本ではこの形が最初のホッチキスであり、広く取り扱われたヒット商品だが、アメリカでは、このムカデ針の前にもいろいろなホッチキスがあり、ムカデ針のホッチキスの時代にも、複数種類のホッチキスが同時に存在していた。他のホッチキスについても紹介したいところだが、簡単にまとまらないのでそれは別の機会としたい。
 ムカデ針ホッチキスの大きな特徴は、針が自動で送られることだ。それまでのホッチキスは針がつながっておらず、一つ一つバラバラの針を、都度ホッチキスにはめ込んで止めていた。それがこのムカデのようなつながった針が考案され、自動的に針を送り出すことができるようになった。この針を自動で送る「オートマチック」タイプの最初のモデルは、HOTCHKISS No.1ではなく、STARというブランドのAUTOMATIC FASTENER(自動綴り器)で、ジョーンズ製造会社によるものだ。1895年に発売、1896年に特許を取得している。

20190120taimichi3.jpg*1895年、AMERICAN STATIONERに掲載のSTAR AUTOMATIC FASTENERの記事


20190120taimichi4.jpg*STAR AUTOMATIC FASTENERの特許申請用紙(抜粋)、1896年


20190120taimichi5.jpg20190120taimichi6.jpg*STAR AUTOMATIC FASTENER


20190120taimichi7.jpg*STAR AUTOMATIC PAPER FASTENERのマーク


20190120taimichi8.jpg*ムカデのようなつながった針



 これを見て、まず目が行くのは後ろについている金属製の蚊取り線香のような代物だろう。爬虫類のしっぽのようなこのクルクルしたものは、針ホルダーである。予備の針を巻きつけておくことで、針がなくなったらすぐに次の針を装着できるというわけだ。実は私はこの針ホルダーはHOTCHKISS No.1の発展型で、後からできたと思っていたのだが、ムカデ針ホッチキスの最初がこの針ホルダー付きモデルであった。ムカデ型の針の形としっぽのような針ホルダーを同じ人が考えたということだ。なんて斬新なアイデアなのだろう。
 そしてこのホッチキスのメーカーであるジョーンズ製造会社は1897年にE.H.ホッチキス社に社名が変わり、その後に日本に輸入されたHOTCHKISS No.1が発売されている。
 HOTCHKISS No.1の発売開始は1897年とのことだが、確認できたところでは1901年のAMERICAN STATIONER(※2)に広告か記事が掲載されているらしいこと、1902年の事務用品のカタログに掲載されていることである。

20190120taimichi9.jpg*H.S.CROCKER Illustrated Catalogue (1902年、オフィス用品のカタログ、アメリカ)


 

 ちなみに針ホルダーのしっぽは、STARからHOTCHKISS No.1になるときは無くなっているが、その後復活し、しっぽ付きのHOTCHKISS No.1が存在する。ただ日本にはしっぽ付きは輸入されなかったようだ。明治時代にこのしっぽ付きのホッチキスが輸入されていたら、当時の人はさぞかし驚いただろうと思うと、輸入されていなかった事がとても残念だ。
 なお、HOTCHKISS No.1以外で輸入されたものとしては、 大型のHOTCHKISS No.2がある。No.1に比べると数はすくないが当時の日本のカタログやリーフレットで時々見ることができる。



20190120taimichi10.jpg*STAR AUTOMATIC FASTENER とHOTCHKISS No.1の針ホルダー付きタイプ


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20190120taimichi12.jpg*HOTCHKISS No.2

日本にやってきたホッチキス

 HOTCHKISS No.1が日本にやってきたのは明治36年(1903年)頃だ。伊藤喜商店(現イトーキ)が最初に輸入をしたという話は有名である。伊藤喜商店は文具事務用品を専門に扱っていたのではなく、明治23年に「発明特許品の販売」の会社として創業された。幅広い取扱品の中に、文具・事務用品が含まれており、後に輸入品も扱うことになった中にホッチキスが入っていたということだ。

20190120taimichi13.jpg*官報に掲載の伊藤喜の広告、明治26年(1893年)、国会図書館デジタルコレクション


 ホッチキスの話では、輸入をしていた伊藤喜商店が「HOTCHKISS」の商標登録をできておらず、他の人物が登録をしてしまい、後に協議の上商標を買い取ったという話もよく語られている。これも正確な情報はわからないが、伊藤喜商店のホッチキスの針の箱にかかれている登録商標の番号を調べると、確かに「先に登録してしまった」と言われている梶仁太郎氏の名前だ。だがそれが伊藤喜商店の製品の箱に印刷されているということは、語られている通り商標を買い取ったなど話がついたということだろう。

20190120taimichi14.jpg*伊藤喜商店のホッチキスの針の箱。右上に「登録商標 第二六〇二四號」と印刷されている。


20190120taimichi15.jpg*「HOTCHKISS」の登録商標


 このHOTCHKISS No.1が1897年にアメリカで発売されたとして、アメリカ国内に広まったのはおそらく1901年頃であったと思われる。それが1903年には日本に輸入されていたというのは、明治時代の後期はすでになかなかのスピード感で欧米のものが取り入れられていたようだ。
 そのHOTCHKISS No.1がどの程度日本で普及していたのかというと、日本でこの道具の名前がホッチキスとなったほど知られていたということだが、当時のカタログ類では黒澤商店(現株式会社クロサワ※3明治39年)、伊東屋(明治43年)、福井商店(現ライオン事務器、大正元年)を始め、小さな商店のリーフレットなどにもHOTCHKISS No.1が掲載されているのを見ることができる。また後に国産品でHOTCHKISS No.1をお手本にしたものが多数発売されたことも「ホッチキス」の名前が定着した要因であろう。

20190120taimichi16.jpg*黒澤商店改正定価表(現株式会社クロサワ)表紙、明治39年(1,906年)


20190120taimichi17.jpg*黒澤商店改正価格表に掲載されたHOTCHKISS No.1


20190120taimichi18.jpg*福井商店営業品目録(現ライオン事務器)、大正元年(1912年)。黒澤商店は「ホチキッス」、福井商店は「ホツチキス」等不統一な表記からも、世に新しく出てきたものという事が感じられる。

ホッチキスに関する丸善の存在感のなさの不思議

 明治時代の文房具の話では、丸善を外すわけに行かない。ホッチキスについても、調べると丸善も明治36年にHOTCHKISS No.1を輸入したとある(丸善社史より)。明治の初期から欧米の各種文房具を輸入していた丸善が、明治36年にHOTCHKISS No.1 を輸入していたとしても何の不思議もない。とすると、伊藤喜商店と同時期、もしかしたら丸善の方が早かったかもしれない。だが、ホッチキスの話において丸善は全く登場して来ないのだ。同じ明治36年だとすると、どちらが早いと言えるほど正確な年月がわかる資料が残ってないのだろうが、「伊藤喜商店が最初に輸入、続いて丸善も」や「伊藤喜商店と丸善がほぼ同時期に輸入を開始」などと紹介されている事があっても良さそうなものだが、今の所見たことはない。
 なお、丸善社史には下記のように輸入したホッチキスの種類と年代が記載されており、ムカデ針ホッチキス以外のホッチキスがいつ頃日本に入ってきたのかを知るのに参考になる。勉強不足で知らないものもあるのでいずれちゃんと調べて紹介したい。

[以下、丸善社史より抜粋]
紙綴器に於いては明治三十六年に米国製ホッチキス No.1自動紙綴器、同三十九年に独國製ウエリントン No.2、自動紙綴器、同四十五年に独國製クリップレス紙綴器、大正二年にウエリントンNo.3、クリップレス紙綴器、同三年に米国製シュアショット紙綴器、米国製ミヂェット紙綴器、ついで米国製アクメ紙綴器が輸入され(後略)

 「初期に輸入していたのに登場しない」だけでなく、もうひとつ腑に落ちないことがある。この輸入ホッチキスの中にもある「ウエリントン」についてだ。丸善の明治40年頃のカタログにHOTCHKISS No.1 と同型のホッチキスで、ウエリントン紙綴器が掲載されている。(ちなみにこのカタログにHOTCHKISS No.1は掲載されていない。)だが、このウエリントン自動紙綴器は、現物はもちろん、丸善のカタログ以外で見たことがない。もちろん私が知らないホッチキスもまだまだあるので、巡り合っていないだけであろうが、日本の資料だけでなく、ドイツの資料やオークションなどでもお目にかかったことがないのが、なんとなくすっきりしない。

20190120taimichi19.jpg*丸善文房具目録、明治40年頃(1907年頃)に掲載されているウエリントン自動紙綴器


 そして、丸善は昭和にこれと全く違う形の「ウエリントン紙綴器」を販売している。
 昭和5年の広告のウエリントン紙綴器はこれだ。

20190120taimichi20.jpg*官報に掲載の丸善の広告、昭和5年(1,930年)、国会図書館デジタルコレクション


 HOTCHKISS No.1 とは明らかに違う形だ。広告の画質が粗く、現物を見たことがないので細かい仕様が不明だが、現行のハンディタイプに近いだろうか。「独國製」かどうかも不明だ。ちなみにこのタイプもやはりこの広告でしか見たことがない。そしてこれは昭和11年の丸善のカタログには掲載されておらずごく短期間で取り扱いを終了したと思われる。
 日本で最も早い時期にホッチキスの輸入を始めていたことや、独占的に扱っていたと思われるウエリントンというホッチキスがどこにも登場しないのは、取扱量が少なかったのだろうか。または他社へは卸さず、丸善のお店での販売が中心で、周囲への影響があまりなかったのかもしれない。今となっては詳細はわからないが、私としてはこのウエリントン紙綴器(HOTCKISS No.1タイプもハンディタイプも両方)の実物をいつか見つけてやるぞと意欲を燃やしている。

まだ語り足りないので、続きは次回

 ホッチキスの話をするに当たり、当初のネタは違う内容を予定していたが、そもそも古文房具としてのスタンダードにあたるムカデ針ホッチキスの話をしないと、どうにも話が進めづらいことに気づき、この内容にした。だがムカデ針ホッチキスの話にしても、もうすこし話したいのだ。とはいえ、これまでのこの連載の中でもっとも地味、且つ同じような写真を並べ続けたので、そろそろ一回区切りを入れないと、読み手も書き手も飽きが来るころだ。
 次回後編は同じムカデ針ホッチキスの話の続きだが、写真は多少見栄えが変わる予定だ。どうぞ呆れずに次回もご覧いただきたい。
 でも、古いホッチキス、格好いいでしょう!?

※1;「1897年発売」は「Early Office Museum」 http://www.officemuseum.com/ による情報
※2:AMERICAN STATIONERはアメリカの文具事務用品関業界紙。1873年創業
※3:黒澤商店(現株式会社クロサワ)は明治34年創業でライプライターを中心に輸入事務用品を広く取り扱っていた会社。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社
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