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【インタビュー】「パーカー」創業者の曾孫が語る!世界中で愛される理由と日本との関係

千葉 勇

1888年創業の「パーカー」は今年で130周年を迎えました。創業者のジョージ・S・パーカー氏が弱冠25歳で立ち上げた筆記具ブランドは、今や世界150カ国で販売されるまでに成長を遂げ、高級筆記具を代表する存在として高い評価を得ています。このほど創業130周年記念モデル第2弾として「ソネット スペシャルエディション」(2018年9月26日発売、製造期間限定品)が発表され、発売に合わせて、創業者の曾孫であるジェフリー・サッフォード・パーカー氏が来日しました。そこで、「パーカー」ブランドヒストリアンを務め、だれよりも「パーカー」を知る同氏にインタビューし、130年にもわたって「パーカー」が世界中で愛される理由や日本との関係などについて聞きました。

日本について

──過去に来日したことはありますか?
私は1985年に最初に日本を訪れました。見学したい場所がたくさんあったのですが、滞在期間が非常に短かったため、それは叶わない旅となってしまいました。
今回が4度目の来日ですが、この旅で私が望むことは、創業者のジョージが愛した場所を訪れ、何よりも「パーカー」の成功を後押ししてくれる人々に会うことです。

──日本に関わる話を教えてください。
私と日本のはじめての関わりは、1965年に弟とオートバイの「Honda S-65」でのパフォーマンスを学校から表彰された時です。
そしてもちろん、そのオートバイを今でも大切に持っています。今は、倉庫に置いてあり乗る事はありませんが、そのオートバイを見るたびに50年前にオートバイに乗っていて楽しかった記憶、デザインや品質、そして耐久性に満足していたことを思い出します。

家族について

──創業者ジョージ・サッフォード・パーカー氏とはどのような人物だったのでしょうか?
曽祖父が130年前にペンのビジネスを始めたのは彼がまだ25歳のときで、多くの若者がそうであるようにエネルギーに満ち溢れた若者でした。ジョージは何か興味深いことがあると本能に従ってすぐさまに行動を起こすタイプの人間でした。その方がたくさんのことを学ぶことができると信じていたんです。実際に目で見て学ぶこと、特に世界を探索することをこよなく愛する人で、船旅で世界一周を4回もしたようです。

──当時、日本にも来られたようですが、そのときのエピソードは何かありますか?
よく話題にのぼる有名なエピソードといえば、ジョージの旅行中に、彼の息子たちが、「デュオフォールド オレンジ」の開発を決めてしまったことです。最初、ジョージは息子が何の相談もなく決断したことを快く思っていませんでしたが、お客様が黒以外のペンを選べることを喜んでいる様子にすぐに気がつきました。その後、妻のマーサと次の日本旅行でジョージは、ある店先で美しい七宝焼きの花瓶を見つけて即座に購入しました。その黄色い花瓶にインスピレーションを得て、美しい「デュオフォールド マンダリンイエロー」が誕生したのです。1927年のことでした。

──ご家族から精神的なものなど受け継いだと思われることはありますか?
ジョージの世代からずっと、パーカー家ではカメラを持ち歩き、「旅行を記憶する」という習慣があります。私自身もその習慣を父のダニエルから受け継いでいます。
父は、「Nikon SP」の時代からニコンのカメラをずっと愛用して来ました。そして、父が最初に購入したカメラを私たちは今でも大切に保管していますが、それは、父がカメラの精密さやクラフトマンシップを非常に高く評価していたからです。
また、ジョージ同様に私も旅が好きです。現地の人々に会い、話をし、そしていろいろな事を学び、体験することをいつも楽しみにしています。

「パーカー」と「パーカー 5thテクノロジー」について

──現在の「パーカー」との関係を教えてください。
数年前、「パーカー」ブランドの担当者とニューウェルの経営陣は、「パーカー」ブランドの歴史を詳しく知っている人物を探していました。パーカー一族である私は、彼らと仕事をしたいと考えていたので話は円滑に進みました。それ以来、アドバイザーとして彼らと一緒に仕事をしています。
現在、私が取り組んでいる仕事はとても誇らしいものです。なぜなら、歴史や新しい世代で築き上げた「パーカー」の話を皆様に伝えて、「パーカー」の未来をデザインし、作り上げていくことは、とても重要だと思えるからです。

創業者のジョージと私の祖父ケネスは、歴史がいかに大切かを特に深く理解していました。歴史を見つめることで、現在を理解し、明日への準備ができると考えていたのです。彼らの強い信念のもとに「パーカー アーカイブス」があります。これは試作品や試験的なペンを含む「パーカー」がこれまでに作ったほぼすべてのペンを収容した膨大なコレクションです。彼らは100年以上も前に、「パーカー」が未来に向けて準備ができるように、この「パーカー アーカイブス」を作ってくれたのです。
この「パーカー アーカイブス」こそが、私がこの仕事に打ち込んでいる大きな理由です。

「パーカー」の歴史を理解するためには、「パーカー」の成長を支持してくれた人々について理解しなければなりません。なぜなら、創業当時、「パーカー」がまだ小さな会社だった頃、ペンのデザインや製作、製品を売ってくれる人まで、彼らには支えてくれる人々が必要でした。そこからジョージの学んだ教訓の一つが、『一人では「パーカー」を確立することはできない』ということだったからです。

──あなたから見た「パーカー」のペンの強みを教えてください。
創業当初からこだわり続けているのは、クオリティ(品質)、クラフトマンシップ(細部へのこだわり)、イノベーション(革新)です。この3つは言わば「パーカー」のDNAとして今日まで引き継がれています。
そして私は全てのペンはコミュニケーションの道具だと考えています。以前、もっと滑らかで書きやすいペンを製作しようとしていた時に、私たちは優れたペンがあるとコミュニケーションが円滑になることに気がつきました。ペンはとても個人的なものであり、多くの人にとっては信頼できる友人のようなものだということも学びました。私たちは、「パーカー 5th テクノロジー」などお客様が自分に合ったペンを選べるように様々な選択肢を提供するために努力しています。だからこそ、使っていただけることを心から嬉しく思っているのです。

──
「パーカー」はなぜこのようなグローバルブランドになったとお思いですか?
「パーカー」の国際的な成功は、常に優れた品質の商品を提供し続けていることだけではなく、創業者のジョージが、とても好奇心が強い人間だったからだと思います。
ジョージは「僕は英語しか話せないが、僕のペンはどんな国の言葉も書くことが出来る」という、とても興味深く、示唆に富んだ言葉を残していました。
この果てしない好奇心に導かれ、ジョージは世界中に出掛けるようになりました。新しい「パーカー」のディーラーとなりうる人に提供できるよう、旅をするときは必ずペンの在庫を持ち歩いていました。新しい街に到着するとジョージは、最初に2つの事をいつも行っていました。1つ目は「観光」、そして次に「パーカー」のディーラーにふさわしい人々を探すことです。そして、旅が終わる頃には、いつも新しいディーラーが見つかっていました。
「パーカー」が国際的なブランドに成長したのは、当時のディーラーの大半を自ら発掘したジョージという存在があったからだと思います。

──「パーカー」が英国王室御用達となったのはなぜでしょうか?
英国王室御用達(ロイヤルワラント)の認定を受けているブランドは一貫した基準を設けています。私たちの基準が女王陛下の基準と似ているのは偶然ではありません。私たちはジョージが最初のペンを作ったときと同じ意欲的な姿勢で、お客様があなたであっても、エリザベス女王であっても、満足していただくことが大切であり、この信念が変わることは永遠にありません。

──「パーカー」は日本において最も著名な高級筆記具ブランドの一つです。なぜ「パーカー」がこのように日本人に受け入れられているのだと思われますか?
「パーカー」の日本での成功は、ジョージが何度も日本へ足を運び、完璧を追求する日本人のこだわりについて理解を深めたことによって実現しました。日本人のこのような気質は、「優れたペンを作りあげたい」というジョージの信念と一致しました。
「パーカー」が日本で愛され続けていることを私たちはとても誇りに思っています。なぜなら、日本の皆様は「パーカー」の他に、ホンダやニコンといったブランドが提供する一貫したクラフトマンシップ、品質、革新性を備える製品を常に求めていると考えているからです。

──「パーカー 5th テクノロジー」を採用した「パーカー インジェニュイティ」についてどう思われますか?
「パーカー 5th テクノロジー」が採用されている製品は、特に日本で人気があります。これらの製品を使用して頂いている日本の皆様は、私と同じ気持ちではないでしょうか。私は細い線を正確に書く必要があるときに「パーカー 5th テクノロジー」のペンを使っています。もちろん、ほかのペンでもこうした線を書くことはできるでしょうが、「パーカー 5th テクノロジー」の場合は強い筆圧が必要ありません。そのため、表現豊かに自分らしくペンを使って頂けます。

「パーカー」ペンについて

──最初に所有したパーカーのペンは何でしたか?
数十年前の夏の日の朝に、私の祖父のケネスは初孫である私が生まれたという電報を受け取りました。事務所にいた祖父は、当時「パーカー51」を作っていた製造ラインまで行きました。そして、シンプルで美しい「パーカー51」の万年筆とペンシルを手に取って事務所にあるデスクの左下の引き出しに大切にしまいました。祖父が私を初めて事務所に呼んでくれたときまで、実に16年間大切に保管されていた「パーカー51」の万年筆とペンシルをこの話と共に貰いました。今でもこのペンを使う度に祖父のことを思い出します。

──
これまでの人生で最も気に入った「パーカー」のペンは何でしたか?  現在の商品ライアップの中でお気に入りは何ですか?
私はよく、どんなペンにもエピソードがあると言っています。そのような思いがあるため、大好きなペンを1本だけ選ぶことはできません。私が持っているすべてのペンにはそれぞれのエピソードがあるのです。
今、「パーカー」が提供している製品でどれが一番好きかと尋ねられることがよくあります。やはり、個人的な好みの問題ですから、とても難しい質問です。どうしても1つだけ選ばなければいけないとすれば、「ソネット」シリーズと答えるでしょう。「パーカー51」と祖父のケネスのことを思い出させてくれるからです。
また、日常使いには「ジョッター」もお勧めできます。私は1954年から毎日持ち歩いていますよ。使い勝手がいいんです。

──直筆でしたためた手紙に関して何か特別な思い出はありますか?
私の人生で大切なことの1つは手紙を書くことです。私にとって特別な手紙は、私が学生時代に家族に宛てたものです。その手紙は、私が初めてアメリカを離れた長い旅をした時に、自宅から遠く離れたスイスで書いたものです。この旅は私の目を世界へと向けさせるものになりました。その時の手紙を読み返していると、新しい場所を見て学び、新しい友達を作ることにわくわくしていた自分を思い出します。

──「パーカー」の未来についてのお考えを教えてください。
「人間はそのうち手でものを書かなくなる」という予想をする人もいますが、私はそう思いません。デジタルコミュニケーションという新しい形態が普及していますが、そこにはいくつかの重要な問題が見落とされています。デジタル化が進むにつれて、問題は明確になってきました。私は、デジタルコミュニケーションは全体的なコミュニケーションの問題であり、個人間のコミュニケーションの問題ではないと考えています。便利なこともありますが、それがコミュニケーションのすべてではありません。
そのため、私は「パーカー」の未来は明るいと感じています。これは個人的な期待ですが、デジタルの問題が認識されれば、「アナログ」や「個人的なコミュニケーション」をするための新たな方法が開発されるようになるでしょう。
短期的な目標として、「パーカー」のシンプルでクラシックなデザインのツールと現代的な要素を組み合わせる方法を引き続き追求していきたいと考えています。

創業130周年記念モデル第2弾「ソネット スペシャルエディション」について

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──創業130周年記念モデルの第2弾として発売される「ソネット スペシャルエディション」の印象を聞かせてください。
I Love It.
「ソネット スペシャルエディション」はだれもが旅で描くエモーショナルな感覚を表現したコレクションなんです。この商品を構成する素材の素晴らしさやクラフトマンシップは皆さんの心を釘づけにすることでしょう。加えましてこの商品に込めたバックストーリーや細部へのこだわりをぜひ皆さんに感じ取っていただけたら嬉しいです。ペンとは単なる道具の一つとして捉える方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。けれども人生という旅を続ける私にとってパーカーとはまさに親友のような存在なんです。

20180910parker1.jpg20180910parker2.jpgソネット スペシャルエディション アトラスCT


【ソネット
スペシャルエディション スペシャルストーリー】

【ソネット スペシャルエディションウェブサイト】
http://www.parkerpen.com/ja-JP/sonnet-special-edition



──日本のお客様に何かメッセージをお願いします。
私の曽祖父のジョージが今、お客様と話ができたとするなら、彼は、まず私と同じことを言うでしょう。
『「パーカー」の仕事をずっと信頼していただき、本当にありがとうございます。』
その次に彼は、最高品質のパーソナルなコミュニケーションツールを提供し続けるという、「パーカー」の信念について話をするでしょう。創業した130年前と同じように私たちが革新性とクラフトマンシップに注力していることを彼は大いに喜ぶとは思いますが、決して驚きはしないでしょう。
私は、ジョージの考えや願いをお客様と共有できるということを心から嬉しく思います。

プロフィール

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ジェフリー・サッフォード・パーカー氏


1948年生まれのジェフリー氏はこれまで70年にわたり、「パーカー」の成長を見届けてきました。現在は、パーカーブランドの歴史を詳しく知る人物として「パーカー」のアドバイザーを務めています。
ウィスコンシン州及びフロリダ州で育ったジェフリー氏は、学生時代から専門性の高い製造から営業、データ処理まで、「パーカー」の様々な事業に携わってきました。ミルトン・カレッジでビジネスの学位を取得した後は、一家がウィスコンシン州ジェーンズビルで経営するオムニフライト・ヘリコプター社に勤め、同社初のITシステムの設計・導入を行いました。
ジェフリー氏はサウスカロライナ州チャールストンに住んでいた10年間、パーカー一族同様に起業家として次々と小売り関連の会社を設立しています。この15年間はパーカー一族の歴史の記録・保存プロジェクトにあたり、4代にまたがるパーカー家の家族写真や記念品を一堂にまとめています。
「パーカー」のペンに関する素晴らしい功績を共有すべく、現在までにジェフリー氏は数多くの書籍を執筆しています。ウィスコンシン州のテレビ番組「ホームタウン物語」でも紹介され、コレクターのためのペン展示会で講演者としても毎回活躍しています。

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