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【連載】文房具百年 #3「輸入鉛筆と日本の鉛筆」後編

たいみち

[毎月20日更新]

 「輸入鉛筆と日本の鉛筆」の話の後編になります。前編をまだ読まれていない方は、後からでもご一読いただければ幸いです。(http://www.buntobi.com/articles/entry/series/taimichi/007518/

日本語のある輸入鉛筆

 前編は大正初期の頃の輸入鉛筆と、その輸入鉛筆に対抗していた日本の鉛筆を紹介したところで終了した。
さて、後編はもう一つ別の種類の鉛筆、輸入鉛筆とそれに対抗していた日本の鉛筆とは一味違う鉛筆の話からだ。その鉛筆とはどういうものか、この画像からわかるだろうか。

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*1912年(大正元年) 福井商店営業品目録

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*STAEDTLERに委託して作られた福井商店(現ライオン事務器)の鉛筆。この「三菱印」は福井商店の商標で、現在の三菱鉛筆とは別である

 
 これは福井商店(現ライオン事務器)がドイツのSTAEDTLERへ依頼し製造した鉛筆、つまりOEMだ。明治初期に鉛筆が輸入されるようになり、大正時代には輸出も始まった。その過程で海外メーカーに日本用の鉛筆を作ってもらうことがあった。
 そこまでは多少認識していたが、このカタログのように、日本の商品名やブランドがSTAEDTLERの名前とともに刻印されている鉛筆があるのは知らなかった。日本語が刻まれている輸入鉛筆というなかなかの珍品だ。

そしてこの鉛筆の存在に気づいた時、パッとひらめいた。
そうか、「あれ」もきっとこれだ!

「あれ」とは「澤井商店」という文具商の紙製石盤に書かれている鉛筆の絵だ。時代はおそらく大正初期から中頃。裏面の左端に鉛筆の絵が描いてある。

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*澤井商店の紙製石盤

 この鉛筆は軸に「MADE IN BAVARIA BY J.S.STAEDTLER」「MASASHIGE」「嗚呼忠臣」と書いてある。この絵に気づいたときは、輸入されたSTAEDTLERの鉛筆に、澤井商店が日本国内で刻印を追加したのだと思った。でも恐らくこれも澤井商店がSTAEDTLERへ、澤井商店用の鉛筆の作成を依頼したのだ。よし、数年前から気になっていた謎が一つ解けた。
 この海外OEM鉛筆がほかにもないか、改めてカタログを見直すとこんなものもあった。STAEDTLERの鉛筆をオリジナルの箱に入れたものだ。

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*1915年(大正4年)堀井謄写堂カタログ

箱には「獨逸(ドイツ)シェ、エス、ステットラー会社特製」とあるが、中の鉛筆は画像を見る限り特別に作られたものではないし、箱はSTAEDTLER製とはとても思えない。

中身の鉛筆はこれだろう。

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*J.S.STAEDTER 「THE MOON」

 この場合は、「STAEDTLERが作った日本語がある鉛筆」とは違い、箱だけ日本製で日本風のデザインというものだが、なんとなく堀井謄写堂の商品のように見えるという、うまいやり方をしている。なお、写真の鉛筆は箱がない状態で購入したが、もしかしたらこの日本製の箱に入っていたかもしれないと思うと、それはそれで面白い。

 更に海外のカタログからも新たな発見があった。

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*1913年 EAGLE PENCIL(LONDON) カタログ 

 このカタログは1913年のロンドンのEAGLE PENCILのものだが、そこに一つだけ日本語の刻まれた鉛筆が載っていた。これはいったいどういうものだろう。日本から依頼されて作ったのだとしたらロンドンのカタログに載せるだろうか。説明は「EAGLE JAPANESE-BBBB(4Bの事)」「とても柔らかく黒い芯で、インドや東洋向け」というようなことが書かれている。さて、これだけではわからない。

 日本側でこの「戦勝紀念」は商標登録されているのだろうかと探したところ、運よく見つけることが出来た。

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*特許情報プラットフォーム

 上塚萬次郎さんという方が申請している。この名前から調べてみたところ、「上塚商店」という鉛筆を扱っている卸商か小売店が大阪にあったことは確認できた。詳細はわからないが、この「戦勝紀念」鉛筆も上塚萬次郎さんが、自分のお店の商品としてEAGLE PENCILへ製造を依頼したものであろう。

 この時期に「輸入鉛筆に似た日本の鉛筆」が多く存在することは知っていたが、「STAEDTERやEAGLE PENCILが作っていた日本の鉛筆」の存在は今回初めて知った。輸入鉛筆から学んでそれに追いつき追い越さんとしていただけでなく、海外の鉛筆製造力を生かして、自身の会社や店の商品としてよいものを販売しようというのは、現代にも通じる話だ。古いものの背景にある話が古く感じられないことがとても興味深い。

日本語のある輸入鉛筆といえば、こんなものもある。

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*STAEDTLER カーペンター(楕円形)鉛筆

「ステッドレル製」と日本語で刻まれたSTEADTLERの鉛筆である。当時STAEDTLERは日本語表記で「ステッドレル」だった。このカタカナ表記は日本へ輸出するためにドイツで刻まれたものだろうか。それとも日本に届いてから?

こういうちょっとしたことは、たぶん答えは見つからない。でもいつか分かるかもしれないし、その時には今は想像もできない面白い話がついてくるかもしれない。

最初の輸入はいつ、誰が?

 では、日本に最初に鉛筆を商品として輸入したのはいつ、誰だろう。商品としての輸入は、幕末からという説と明治10年頃という説があるようだが、明確でないのと誰が輸入したかがわからない。
 見つけられた資料から追ってみよう。明治初期の文房具の取り扱いとしては、まず丸善が思い浮かぶ。丸善の社史では文房具の輸入は明治20年からと記載されている。
 だが、ここに一つの資料がある。明治12年の丸善のカタログだ。


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*1879年(明治12年)丸屋善八商店(現丸善)カタログ

 この最後の1ページに、文房具の商品カタログが掲載されている。

 カタログを作っただけで、まだ輸入されていなかった可能性も無きにしも非ずだが、商品があるからカタログとして掲載したと考えるのが自然だろう。その中の「Lead Pencile」の項は「Faber」[EAGLE]「DIXON」とおなじみの欧米鉛筆メーカーの名前が並んでいるところもリアルである。そして注目すべきは「Z.P.M&Co」である。

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 当時丸善はこのカタログの表紙にもある通り「丸屋善八商店」だった。ZenPachi Maruya Companyである。つまりこのZ.P.M&Co.は当時の丸善がすでに海外に製造を依頼していた丸善のオリジナル鉛筆に違いない。前出のSTAEDTLER製やEAGLE PENCIL製の日本ブランド鉛筆より30年も早く海外で丸善ブランドの鉛筆を作っていたのだ。これは全く驚きである。そして明治12年の時点で自社の鉛筆を海外で作成していたとすると、もっと早くから鉛筆を扱っていたと考えるのが自然だ。

 では、丸善が最初に輸入したのだろうか。そこは一概にそうとは言えないと思うのだ。

 話が飛ぶようだが、この「文具のとびら」はステイショナーという会社が運営しており、ステイショナーは業界紙「旬刊ステイショナー」の発行もしている。そしてアメリカには1873年創刊の「The American Stationer」という業界紙がある。(日本のステイショナーとは無関係である。)幸い1878年以降の紙面がスミソニアンライブラリーのデジタルアーカイブで公開されているので、それを調べてみたところ、次の記載を見つけることが出来た。

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*1878年 The American Stationer(Smithsonian Library) 

「PENCILS,to Japan, 2cs」!!鉛筆を日本に2ケース輸出したと記載されている。1ケースは1グロス(12ダース~12本×12箱)だろうか、それとももう一つ上のボリュームだろうか。記事の一番上を見るとニューヨークから各国への輸出についての記載で、1878年4月16日~23日の間の実績だ。1878年は明治11年。丸善のカタログの前年の資料となる。インターネットで検索できるとはいえ、このThe American Stationer 1878年版の1,300を超えるページの資料からこのワンフレーズを発見できた時には思わずガッツポーズが出た。
(余談だが、調べて発見できた時のこの楽しさを皆さんにもお伝え出来ないかと思った。PCでご覧になっている方はリンクを開いて右上の検索ワード入力欄に「PENCILS to Japan」を入力して検索をしてみてほしい。うまくいけば、該当の箇所を見つけられるはずだ。※1)

 話を戻そう。これによると少なくとも1878年、明治11年にアメリカから鉛筆を輸入していたことがわかった。ではどこが輸入したのか。検索したところ、各国の取引先の記事もThe American Stationerには掲載されている。

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*1878年 The American Stationer(Smithsonian Library)

 この1878年の日本の取引先は、Kelly&Co、となっている。日本語だと「ケリー商会」、横浜居留地にあった会社だ。この2ケースの鉛筆はおそらく横浜のケリー商会が仕入れたものだろう。
 ケリー商会はイギリス系の出版および書店で、書籍と一緒に文房具やたばこも扱っており、明治1876年(明治9年)に横浜に設立された。営業当初から鉛筆を扱っていたかは不明であり、The American Stationerも1878年より古いものは残っていないか公開されていないため調べられない。だが、鉛筆の輸入が始まった時期の一説の「明治10年頃」は横浜居留地に文房具を扱う会社が出来てきたあたりから来ているのではないだろうか。

「知恵の輪」

 じわじわとさかのぼって、明治も一桁まで来た。ここまで来るとさすがに情報も枯れてくる。輸入鉛筆について今回見つけられた一番古い資料がこれだ。

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*1872~73年(明治5~6年)「絵入り智慧の環」(国会図書館デジタルコレクション)

 明治5~6年に書かれた「絵入り智慧の環」という書籍に鉛筆が描かれている。一番右がつけペン、二番目が鉛筆、左は上が石盤、下が石筆だ。
 この本は「いろはにほへと」や数字の表記から始まり、モノの名前や簡単な文章など、今でいうと小学一年生の教科書のような内容である。そしてこの鉛筆が書かれている周辺のページは、明治になってから海外より入ってきたものが数ページ並んでいる。例えば洋服や靴、自転車、望遠鏡などで、これから覚えておくべきものを掲載しているのだろう。
 これがなぜ輸入鉛筆の資料なのか。

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鉛筆の軸に描かれているこの文字。正確に読めば「EACIEN82」だ。
 だが私はこれをEAGLE PENCILを見ながら書いたとしか思えないのだ。
「EAGLE」の部分は正確に描く必要はないので、書ける範囲で書いた。「N」はきっとNoのNだ。この憶測が正しければ、この本が書かれた明治5年か6年にはこの本の著者の手元にEAGLE PENCILがあったのだ。もちろんサンプル程度で入ってきたものかもしれない。だが、この本の性質を考えると、まだ輸入も始まっていないものを本に載せただろうか。
 私はこの時すでに輸入が始まっている、または始まることがわかっていたのではないかと考えた。
そしてこの本の著者は「古川正雄」という人物だ。
これがどういう人物かというと、古川正雄は慶應義塾大学の初代塾長であり、福沢諭吉の弟子だ。
福沢諭吉といえば丸善の創業者の早矢士有的は、福沢諭吉の勧めで丸善を創業した。
と、いうことは「智慧の環」に出てくるEAGLE PENCIL(おそらく)はきっと丸善経由で手に入れたものなのだ。鉛筆だけでなく、その他の輸入品の絵もかなり丸善の協力のもとに書かれたのではないだろうか。これはもう推測を超えて妄想の域に入っているが、そう現実離れした話でもない気がする。

 そして改めて丸善の登場だ。やはり丸善が明治初期から輸入をしていたのか。

 これについては、今の時点ではそうだともそうでないとも言えない。丸善も早々に輸入品を扱う唐物店をスタートしているが、そこで鉛筆を扱っていたのか、またその商品を直接輸入していたのか、横浜居留地やそれ以外の輸入をしていたところから仕入れていたのかがわからない。輸入開始の時期としては明治5年や6年にはもう輸入されていただろう、と思うわけだが、それも含め結局のところわからないのだ。とはいえ、日本に鉛筆の輸入が始まったころの登場人物が、少し見えてきた。

もっとも古いコレクション

 さて、輸入鉛筆の話もそろそろ終わりである。海外の鉛筆と日本とのかかわりとして、明治6年1873年にウィーン博覧会に藤山種廣、井口直樹が行って鉛筆製造の技術を学んできた話が有名である。そのあたりの詳しい内容や鉛筆の歴史自体の話は日本鉛筆工業協同組合のサイトの参照をお勧めする。http://www.pencil.or.jp/company/rekishi/rekishi.html

 1873年、145年前の鉛筆はどのようなものだったか。私の古文房具のすべてのコレクションの中で最も古いものが、偶然1873年の鉛筆である。(同じ年というだけで、ウィーン博覧会や井口直樹、藤山種廣とは関係ない。)幸い鉛筆の箱に購入日と思われる日付が書いてあり、鉛筆の軸の刻印情報なども併せて時代を特定した。

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新鉛筆2- (23).jpg*1873年 A.W.FABER 硬度違い鉛筆セット

 これは硬度が違う鉛筆がセットになっているタイプだ。この頃の鉛筆がすべてこのようなセットになっていたわけではなく、たまたま持っていたものがこれだった。そしてこの鉛筆には今の鉛筆にはない特徴がある。

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 芯が四角いのだが、真ん中に芯を挟むのではなく、ふたをするようなつくり方をしている。この頃の鉛筆のつくり方がみなこうだったのかまでは不明だが、他のメーカーも含めてこのような四角い芯は普通に使われていたようだ。真ん中に挟むほうが簡単に作れそうだが、どうやって作っていたのだろう。
 145年前に井口直樹一行が遠くウィーンを訪ねていって目にしたのは、このような鉛筆だったのだろうか。

っ。

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「智慧の環」の鉛筆の絵も芯が四角い。
こういった資料と時代の些細な符号の一致を見つけるのも調べ物の面白いところだ。

私の欲しいものリスト

 今回鉛筆について調べたことで、今まで知らなかったことや気づかなかったことがいろいろ分かった。鉛筆は資料が豊富で調べたもののここに書ききれなかったことも多くある。だが調べること自体が面白かった。そして調べて分かったことが増えるとそれに比例して欲しいものも増えてしまう。

・大正時代に海外に輸出されていた日本の鉛筆や、日本の鉛筆が掲載されている海外のカタログ
・STAEDTLERやEAGLE PENCILが日本の文具商に依頼されて作った鉛筆。
・Z.P.M&Co鉛筆
・1878年(明治11年)より前の輸入鉛筆の資料

 アマゾンの欲しいものリストのように、公開しておいたら誰かがプレゼントしてくれないだろうか。もしプレゼントしてもらえたら、その時は是非「文具のとびら」に鉛筆の話の続きを書くことにしよう。
そうそう、せっかくなので希望を追加すれば、日本の「ステイショナー」も過去の発刊物をデジタルで公開してもらえたら、とても嬉しい。

付記

 一度削除した画像を一つ復活させて終わりにしよう。後編にこの時代に鉛筆はどのように使われていたかも入れたかったが、どうにも入らなかった。ただ、この鉛筆を持った女学生の写真は珍しいものなので、それだけ紹介しておこう。
 時代は明治から大正頃だろうか。よく見ると持ち方がぎこちなく、写真を撮るために鉛筆を持たされたようだが、それでも当時の雰囲気を想像するには十分役に立つ。

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*鉛筆とノートを持つ女学生のポストカード

これで本当におしまいだ。長文を読破してくださった方、画像だけ眺めたり、ざっと流し読みの方も含めてここまでお付き合いくださった皆様に感謝する。

※1:The American Stationerのサイト検索は、PCのスペックによってうまく表示されないことがあります。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社

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