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【連載】文房具百年 #2「輸入鉛筆と日本の鉛筆」前編

たいみち


100年前、鉛筆業界は盛況だった

[毎月20日更新]

 日本の鉛筆の歴史は、他の多くの文房具がそうであるように欧米からの輸入品の影響が大きい。では大よそ100年前の日本はどうだったのか。100年前の1918年(大正7年)ころは輸入鉛筆もあったが、すでに日本国内で鉛筆業者が多数存在し、1914~18年の第一次世界大戦の影響で鉛筆大国ドイツの鉛筆供給が滞ったことから、日本の輸出が大いに伸びた時期だ。
その頃より少しあと、大正の終わりごろから昭和初期頃と思われる鉛筆はこんな感じだ。

鉛筆1- (1).JPG*右:日本海海戦鉛筆(市川鉛筆製造所)、中:飛行船鉛筆(日本鉛筆製造)、左:東郷元帥鉛筆(市川鉛筆文具)

 たまたま日露戦争の影響を受けている鉛筆が二つ入っているが、製造会社の社名から大よその時代が推定できるものを選んだ。日本海海戦鉛筆は日露戦争で有名な戦艦三笠の図だが、元の絵は一度消失しており、大正14年に再度描かれたものが有名になっているとのことなので、鉛筆自体も昭和初期の可能性が高い思われる。東郷元帥鉛筆は「東郷大将鉛筆」という名で大正初期からあるが、製造会社の社名から昭和初期と判断した。

もちろん他にも多くの鉛筆工場とそこから作り出されるいろいろな鉛筆があった。当時の鉛筆の広告を少し業界紙からピックアップしてみた。大正8年から昭和3年のもので、名前やマークがユニークでなかなか楽しい。

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*文具界、日本文具新聞

こういった鉛筆はどのようなところで作られていたのか。当時の鉛筆工場の様子を紹介しよう。

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*1925年(大正14年)日本鉛筆製造 会社紹介資料

大正14年 日本鉛筆製造の「検物部」。梱包前の検品と仕訳だろう。日本髪の女工さんがいるが日常的に日本髪で仕事をする女性がいたのだろうか。またはこの日が特別な日だったのだろうか。

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*1925年(大正14年)日本鉛筆製造 会社紹介資料

こちらは「仕上げ部」の写真だ、束になった鉛筆が積みあがっているのが見えるので、箱詰め担当と思われる。
軽作業は女工さん、男性は鉛筆を作るところや各作業の間を鉛筆を運ぶ作業を担当していたようだ。

 鉛筆の話に戻ろう。
またこの頃、とても長い鉛筆や携帯用の平たい鉛筆もあった。

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*左2本:1915年(大正4年)発売、ステッキ鉛筆、右2本:1919年(大正8年)発売、ファニーフェイス(ともにトンボ鉛筆)

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*大正頃「TOKYO STATION HOTEL」と刻印のある鞘に入った扁平鉛筆。(真崎市川鉛筆)

 ステッキ型とお人形がついているファニーフェイスは30センチ近い長さだ。それに平らな鉛筆、すでにこのような形の鉛筆も作れる技術があったわけだ。特にこの平らな鉛筆は欧米製のものは海外オークションなどでよく見かけるが、日本のメーカーのものはこれ以外見たことがない。この鉛筆の刻印「M&I PENCIL」は真崎市川鉛筆、現在の三菱鉛筆と当時の大手文具商 市川商店が組んで設立された会社で大正10年まであった。時期的に1915年(大正4年)の東京ステーションホテル創業時期にあたるので、その時の記念品のようなものなのか、いつか機会があれば三菱鉛筆に聞いてみたい。

 そして、M&I PENCILについてもう一つ資料を見つけた。1919年のフランスの事務用品カタログに真崎市川鉛筆が載っているのだ。当時輸出していたのだろう。

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*1919年フランスの事務用品カタログ

 上から3番目の鉛筆は「VIOLET COPYING」の左横に小さく「M.&I.」と入っている。またその下の車輪に羽が生えているマークの芯ホルダーは「WING PENCILS」。これは市川鉛筆製である。写真の一番上と一番下にドイツ「JOHANN FABER」(現FABER CASTELL)、下から3番目に「L&H HARDTMUTH」(現在の「KOH-I-NOOR」にあたる)がある。フランスのカタログに欧米の有名メーカー製品と並んで日本の鉛筆が載っているとは嬉しいものだ。

 鉛筆が描かれた物語も登場している。宮沢賢治の「みじかい木ぺん」(※1)は計算や絵、綴り方を自動でやってくれる不思議な鉛筆の話であり、詩人 西條八十の最初の童謡集「鸚鵡と時計」(※2)には「鉛筆の心」「なくした鉛筆」と鉛筆にまつわるものが二編収められている。これらの子供向けの作品を見ると、当時の鉛筆は珍しいものではないにせよ、大事に使われており時に貴重なものであったことがうかがわれる。

鉛筆1- (11).JPG*「鸚鵡と時計」(復刻)

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*嬢チャン鉛筆。 西條八十の詩に「銀の帽子に赤いひも、王子のような顔をした」という鉛筆がでてくる。男の子の詩なので、「嬢チャン鉛筆」ではないが、雰囲気や形はこのような鉛筆だったのではないだろうか。

 なお、「みじかい木ぺん」の「木ぺん」は鉛筆を指す。ほかに例がないので宮沢賢治独特の言い回しかもしれない。ただ明治・大正のころ、鉛筆は「鉛筆」だけではなく「木筆」という名前でもあった。「ぼくひつ」と読む。カタログでページによって「木筆」と「鉛筆」両方とも使われているなど表記の揺れが散見される。また「鉛筆の心」も「こころ」ではなく「しん」と読む。「芯」の事だ。モノの名前や表記が統一され、定着する前の名残であろう。

 表記の揺れではないが、鉛筆を「御縁筆」と書いてちょっとした贈り物に使う風潮もあった。「鉛筆の心」「御縁筆」。鉛筆の木のぬくもりが思い出される表現で私は好きだ。

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*御縁筆 目黒工業青年学校。目黒工業青年学校の設立が昭和14年(目黒区教育史参照)、住所が東京市なので昭和14年から18年頃の鉛筆。

「外国製品二対抗スベキ」日本の鉛筆

 さて、100年より前、明治の終わりから大正初めのころにさかのぼると、輸入鉛筆が主流であることに日本の鉛筆業界が対抗し始めていた時代になる。
その頃の欧米の鉛筆はどのようなものであったか。日本に輸入されていた主な鉛筆はドイツのA.W.FABER、JOHANN FABERにSTAEDTLER、アメリカはEBERHARD.FABERやEAGLE PENCIL、AMERICAN PENCIL、DIXONなどである。

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*1913年EAGLE PENCIL(LONDON)のカタログ

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*1902年 アメリカ、文具卸商のオフィス用品カタログ

現物はこのあたりだろうか。刻印が白く見えるが実際は銀箔が捺されており、今でもきれいに残っている。

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*1900年初頭頃(推定)の欧米の鉛筆。上から2本:EAGLE PENCIL、3本目:A.W.FABER、一番下:JOHANN FABER

 この頃、芯の形が四角や六角形(軸ではなく芯である)の物や、携帯用として過剰と思われるほど小さい鉛筆なども作られていた。芯や軸の形、特大や極少の鉛筆を作ることを楽しんでいたかのようなバリエーションの豊かさだ。

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*1900年頃 A.W.FABER

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*A.W.FABERの四角い芯

 日本では大正3年(1914年)に東京文具卸商同業組合が「外国製品二対抗スベキ東京製文具目録」というものを作成している。冒頭の説明で「戦争で輸入が途絶えて国内需要が増えてもそれを満たせるように増産をしよう」「輸出も増やして国益を増やそう」、だが「舶来品は優秀だと妄信されているので、日本の良い文房具を取りまとめて説明書を作り、世間に紹介することにした」といった事が書かれている。鉛筆だけではなく、万年筆、インキ、絵具なども掲載されているが、鉛筆が一番多く掲載されている。

 最初に紹介されているのが真崎市川鉛筆製造の「ウイング(羽車印)」「月星印」鉛筆だ。「その製造力においてその品質において、本邦鉛筆界における巨人たるオーソリチー」と説明があり、商品も多数掲載されている。

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*「東京文具卸商同業組合二於イテ優良ト認メタル外国製品二対抗スベキ東京製文具目録」(国会図書館デジタルコレクション)真崎市川鉛筆の商品

 説明が面白い。それぞれに「〇〇に比して優秀」や「××と同等品」「充分代用となす」と書かれている。輸入品に頼っていたところから国内製品への切り替えを促進するにあたり、品質の目安は輸入品との比較で表現するのがわかりやすかったということか。

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*真崎市川鉛筆の各鉛筆について説明が添えられている。

 右から二番目のきれいなデザインの紙帯が巻かれた「New Lead Pencils」の説明は「月印平箱入二比シ品質優美価格低廉」とある。その比較対象となっている「月印平箱入」はおそらくこの鉛筆だ。

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*1900年頃(推定) STAEDTLER

 もともとこのSTAEDTLERの鉛筆をお手本にしていたのだろう。また代用品や対抗するという意味もあるのか、紙帯のデザインがよく似ている。余談だが私は最初このSTAEDTLERの鉛筆の紙帯だけ入手した。少しエキゾチックなデザインで、光を当てるとキラキラ光る様はとても綺麗で見ているだけでわくわくした、というより感動した。100年前の人も、これを見て同じように感動したり驚いたりしたに違いないと想像を膨らませている。

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 このSTAEDTLER「月印」だけでなく、他にも欧米の商品に似たデザインのものがいろいろあった。興味深いのはデザインや名前、品番などが比較対象の商品と似ているが、全く同じにはしておらず日本製であることも明記している点だ。商標登録制度は明治17年から始まっており、さすがに全く同じというのは都合が悪いと認識されていたのだろう。
そんな「どれに対抗しているのかわかるように」でも「同じはだめ」というルールを考慮した結果、「一見三日月に見えるけど月ではない」怪しい商標がいくつも作られた。

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*商標大全(国会図書館デジタルコレクション)

上段中央の鶴亀はなかなかよくできているが、右上の人魚の不自然なポーズといい、左下はエビだろうか、正直すこし気持ち悪い。今となってはこの無理やり感が愉快でもあるが、当時はここまで頑張らずに潔く他のマークにしても良かったのではと思えるほどだ。

 輸入品とよく似ている鉛筆は月印だけではない。「文具の歴史」で当時よく売れた鉛筆として登場する「EAGLEの140」も「代用品」らしきものが多く存在する。本家はアメリカのEAGLE PENCILの製品で、片方が消しゴム、片方が鉛筆になっている。下の写真は削ってある先端が鉛筆ではなく、消しゴムだ。このタイプはどれも消しゴム側が削られて販売されていたようだ。

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*1900年頃 EAGLE PENCIL。明治、大正期に日本でよく売れたと言われている鉛筆

半分消しゴムなのだから、消しゴム好きの私としては「鉛筆付き消しゴム」として扱いたいが当時のカタログなどでは「消しゴム付の鉛筆」として扱われている。残念だ。
そしてこのEAGLE 140番の「代用品」というのか、お手本にした鉛筆がこちら。

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*PAROOT1400(メーカー不明)

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*1916年(大正5年) 堀井謄写堂カタログ。EAGLEではなく、SEAGULL(かもめ)だ。


新鉛筆1- (29).jpg*東京製文房具より トーロー印鉛筆

共通の特徴は本家EAGLE PENCILの鷲マークに見えるシルエット(羽が生えていることが多い)の商標と品番が140に似ていること、またはEAGLE140の商品名「Perfection」に似た商品名が付けられていることだ。
正直「Parrot 1400」を見つけたときには笑ってしまった。商標も月のマークに負けないくらい羽が生えている、または羽に見えるマークが多数ある。TOROはどうやら灯篭に羽をつけたようだし、他にも時計に羽などなかなか面白い。

そんな中「本家のEAGLE140」と思って入手したものが先ほどの写真の鉛筆だが、実はよく見ると怪しい点がある。

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日本語の説明と、「REG. IN JAPAN N.7129」だ。
はじめはアメリカで製造して、日本へ輸出するために日本用の紙帯を作成したのだと思った。実際、ペン先などはイギリス製だが箱に日本語で説明書きがあるものもある。だが念のため登録商標データベースで「No.7129」を調べてみた。

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*商標大全(国会図書館デジタルコレクション)


 なんと日本の会社の登録商標だ。この「伊藤常次郎」さんは、古一堂という文具商の代表者である。となるとこれは古一堂が作ったものなのか。
改めて見直すが鉛筆には「EAGLE PENCIL NEW YORK」と書かれているが、MADE IN U.S.Aの表記はない。ただこの部分はもともとこういう表記だ。MADE IN JAPANの表記もない。
古一堂の登録した商標と現物の紙帯の商標は若干異なり、現物の紙帯に印刷された商標は見る限り本物と同じである。欧米製品の「代用品」をうたっているものは基本自社の商標を使い、且つ日本製と明記している。
古一堂は輸入品も扱っていたので、これはEAGLE PENCILから仕入れ、古一堂が日本で紙帯を作って販売していたと思えなくもない。日本語の注意書きが字も下手でいかにも怪しいが、日本で作った偽物なら却ってこのような注意書きはいれないだろう・・・。
等々いろいろ考えたが、正直なところ今となっては答えはわからない。推測するしかないので、ここは「これは本物のEAGLE 140」としたい。いつか推測がひっくり返るような情報が出てきたらこっそり訂正しよう。

鉛筆の話は続く

 今回、鉛筆についていろいろ調べた結果、いろいろ入れたくてとても長くなってしまい、前後編に分けることにした。ここで休憩を入れ後編はさらに昔へとさかのぼる。せっかく二回に分けたので、後半も紹介したいことは全部盛り込むつもりである。後半が一か月先になったことで、その間に更に面白いネタを見つけるべくアンテナを張りなおして資料を洗いなおそうと思う。ここまでの長文読破に感謝するとともに、一か月後に乞うご期待だ。


(※1)「みじかい木ぺん」宮澤賢治 「イーハトーボ農学校の春」に収載。青空文庫によりGoogleBooksで閲覧可能。(※2)「鸚鵡と時計」西條八十、1918年夏から1920年までに『赤い鳥』その他の雑誌・新聞に発表した59編の童謡を収載。

プロフィール

たいみち
古文房具コレクター。明治から昭和の廃番・輸入製品を中心に、鉛筆・消しゴム・ホッチキス・画鋲・クレヨンなど、幅広い種類の文房具を蒐集。
展示、イベントでコレクションを公開するほか、テレビ・ラジオ・各種メディア出演を通して古文房具の魅力を伝えている。
著書「古き良きアンティーク文房具の世界」誠文堂新光社

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